先日放送されたNHK「映像の世紀」の「カラシニコフ銃1億丁 史上最悪の殺人兵器」にはかなり衝撃を受けました。特に、「ベトナム戦争で米軍が負けたのはカラシニコフ銃のせいだった」という史実は全く知りませんでした。
カラシニコフ銃(AK-47)は、ソ連軍の戦車兵だったミハイル・カラシニコフ(1919~2013年)が自ら設計し、1947年に完成させた自動小銃です。当初、スターリンは秘密兵器として隠匿しましたが、56年のハンガリー動乱を機に世界で注目され、設計図解禁後はブルガリアなどの東欧諸国や中国などでも大量に製造されるようになりました。
操作は子どもでも難なく簡単に使え、しかも故障知らずなので、瞬く間に世界中に広がります。最初に書いた通り、私が最も興味深かったことは、ベトナム戦争でした。北ベトナムはソ連や中国からもたらされたカラシニコフ銃でゲリラ戦を展開。一方、最新の先端兵器を備えているはずの米国は、自動小銃M16で立ち向かいますが、このM16は池や沼地に入って濡れたり、湿気の多かったりするベトナムの国土では故障しがちです。米兵の多くがこのM16を修理している最中に北ベトナム兵のカラシニコフ銃で狙撃されて亡くなることが多かったのです。一方のカラシニコフ銃は水に浸かってもほとんど故障しません。こういう「内幕」は今回初めて知りました。超軍事大国アメリカは1975年、小国ベトナムから思ってもみない敗戦を味わうのです。当時、私は大学浪人の予備校生でしたが、世界最強の軍事大国の敗因が全く分かりませんでした。これで、やっと長年の謎が解けた感じです。
その4年後の1979年に、今度はソ連がアフガニスタンに侵攻します。この大国ソ連に立ち向かったのはイスラム義勇軍で、彼らに武器を提供したのは米国でした。何と、米国製のカラシニコフ銃を大量に送りました。ベトナム戦争のしっぺ返しです。結局、その10年後にソ連は撤退します。イスラム義勇軍には、2001年の9.11テロを起こすビン・ラディンも参加していました。彼の愛用の武器もカラシニコフ銃でした。
カラシニコフ銃は、ロシア人の死の商人の暗躍でアフリカのコンゴやモザンビークなどの内戦でも大量に出回ります。何と1丁たったの10ドルで手に入ったというのです。
開発者のカラシニコフは「銃が悪いのではなく、使う人間が悪いのだ」と嘯きながらも、プーチン大統領から勲章を授与されました。カラシニコフ銃のせいで、世界各国でテロや戦争などで大量の死者を出す一方、カラシニコフ本人は2013年、94歳の天寿を全うしました。
人間という存在の恐ろしい業(ごう)を見せつけられました。
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