海城高校の北海道バス修学旅行
写真は、1973年夏、海城高校の修学旅行の際に北海道・札幌で撮影されたものです。半世紀以上昔の写真ですから白黒です。左から、今では全く面影すらないあの頃の私、真ん中がプロのミュージシャンになった佐藤史朗君、そして、右が昨年3月に惜しくも病気で亡くなった田中英夫君です。後ろに五輪のマークが見えますが、その前年の1972年に開催された札幌五輪の会場「真駒内屋内競技場」だったと思います。確か、あのフィギュアスケートのスターになったジャネット・リンが尻もちをついたリンクだったと記憶しています(間違いかも)。まだ、少し熱気が残っていたことを覚えています。
何でこんな古い写真を持ち出したかと言いますと、来月6月に1年3カ月ぶりに高校の同窓会が開かれるで、色々思い出したからでした。特に、修学旅行は北海道1周旅行でしたので深い思い出があります。そのベストスリーを挙げますと、第3位③エルビス・プレスリー=これは、またまた私の記憶違いかもしれませんが、札幌のホテルのテレビで、エルビス・プレスリーのハワイ公演のステージを見たことです(北海道の名所旧跡ではなくてごめんなさい)。でも、調べてみたらプレスリーのハワイ公演が全世界に衛星中継されたのは73年1月だったということで、やはり記憶違いか?いずれにせよ、我々は42歳の若さで亡くなった現役時代のプレスリーとは同世代でした。
第2位は、②その札幌のホテルが混浴だったことです(またまた北海道の名所旧跡ではなくてごめんなさい)。広い浴場に入ったら、向こうの出入り口から女性が入って来たので吃驚仰天。高校生でしたからこちらの方が恥ずかしかった。
そして、第1位は、①19歳のバスガイドさん=我々とあまり年が変わらない美人のガイドさんでした。当初は、ガイドさんが一生懸命説明したり歌ってくれたりしたのに、我々は拍手をするのでもなく無反応。無視したわけではなく、やはり恥ずかしかったからかもしれません。我々の世代は「しらけの世代」と言われていましたから(笑)。しかし、その夜、ガイドさんは自分の無力さ故と勘違いして泣きはらしていたという噂を聞いた我々は、翌日から、大いに騒いでガイドさんを盛り立てるようになりました。お蔭で、最終日、函館の山をバスで降りた際、ガイドさんから別れを告げられた我々は涙、涙でした。
分離派書房とは
ありゃ、前置きが長過ぎましたが、本当は、プロのミュージシャンになった佐藤史朗君のユニット「分離派書房」の「静かに乾杯」という曲を皆さんにも聴いてもらいたいと思って、このブログを書き始めたのでした。とっても良い曲です。
このブログの最初に掲げた写真をもう一度ご覧ください。佐藤史朗君は卒業後も田中英夫君とはとても仲が良かったので、彼に「亡くなった田中英夫君のためにつくった曲ですか」と質問したら、「彼のために作曲したというわけではないけど、作品のきっかけにはなっています。演奏時には脳裏に浮かびます」との答えが返って来ました。音だけ聴いてみると、ヴァイオリンの音色に厚みがあり、2台で演奏しているように聞こえます。また、史朗君のアコーディオンはビオラのように聞こえます。名曲です。
分離派書房というのは、本屋さんではなく(失礼!)、2019年にヴァイオリンの中井いち朗さんとアコーディオンの佐藤史朗君が結成したインストゥルメンタル・デュオ・ユニットです。詳細はリンクしましたホームページをご覧ください。
高校の同級生には、文系なのに転向して歯科医師になった林俊輔君、病院のレントゲン技師になった小島俊夫君、薬剤師になった平田高司君ら「変わり種」がおりますが、一番のユニークは、やはり、ミュージシャンになった佐藤史朗君でしょう。高校時代、まさか彼がプロになるなんて全く想像も出来ませんでしたけど。
【追記】
この記事を書いたところ、佐藤史朗君から、修学旅行のバスガイドさんの写真を送ってくれました。珍しくカラーですが、かなり、ボケてます。昭和らしいということでご笑覧ください。50年以上経っても大切に保存していたとは驚きです。
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