芝大門の増上寺と寛政3年創業の老舗蕎麦「更科布屋」とハートブレイク・パーク

増上寺本堂 keiryusai.net 歴史
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 2月20日(金)、東京・芝大門の浄土宗鎮西派大本山、増上寺に参拝して来ました。増上寺は言わずと知れた徳川家の菩提寺です。私は何十年間も東京近辺をウロウロして来たというのに、この徳川家の菩提寺をお参りするのは生まれて初めてでした。若い頃は、興味がなかったせいかもしれません。

増上寺大門 keiryusai.net
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 先週は、法然上人が開祖した京都の浄土宗総本山知恩院を参拝しましたから、浄土宗づいております。たまたま、Sさんから「巣鴨のお蕎麦屋さんにでも行きませんか」とのお誘い受けた時、巣鴨は前回行ったので、他に、東京で一番古い蕎麦屋さんを探したところ、寛政3年(1791年)創業の「更科布屋」が芝大門にあることが見つかりました。この近くには増上寺があるので、ご参拝ついでに、この店に行こうということになったのです。

1791年創業「更科布屋」 keiryusai.net
1791年創業「更科布屋」 keiryusai.net

 Sさんとは、先月は、東京・四ツ谷の迎賓館を一緒に訪問したり、その前は、近衛文麿の邸宅だった荻窪の荻外荘などを案内してもらったりしましたから、すっかり、歴史散歩同好会(歴散会)を結成した感じになりました。歴散会は、混んでいない平日にお暇と少しばかりの御足が御座いましたら、皆さんもご参加自由です(笑)。

東京ドーム12個分の広さ

 増上寺の公式ホームページなどによると、増上寺は、明徳四年(1393年)、浄土宗第八祖酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって開かれました。三代将軍足利義満の室町時代です。その後、徳川家康が天正18年(1590年)、豊臣秀吉により関東に移封されると、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれました。慶長3年(1598年)には、現在の芝の地に移転しましたが、これは、よく知られているように、天海上人(慈眼大師)が、陰陽道や風水を取り入れた都市計画で、江戸城の鬼門(北東)に上野の寛永寺、裏鬼門(南西)に芝大門の増上寺を配置したためです。

 江戸中期は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮があり、3000人以上の学僧のお念仏が、全山に鳴り響いていたと言われています。最盛期の境内は約18万坪、東京ドーム約12個分の広さです。

増上寺 円光大師堂 keiryusai.net
増上寺 円光大師堂 keiryusai.net

 しかし、明治新政府による廃仏毀釈で、境内地を召し上げられ、現在の境内は最盛期の約10分の1以下の約1万6000坪です。つまり、現在、東京タワーや港区立芝公園になっている辺りは増上寺の境内だったわけです。

増上寺 東照宮仁王門 keiryusai.net
増上寺 東照宮仁王門 keiryusai.net

 増上寺は、明治期には2度の大火があり、先の大戦では米軍による空襲で灰燼に期したので、現在の建物は戦後復興されたものがほとんどです。

有章院(徳川家継)霊廟二天門 keiryusai.net
有章院(徳川家継)霊廟二天門 keiryusai.net

 今回初めて、増上寺本堂の地下にある「宝物展示室」(徳川将軍家墓所と合わせて1000円)に入場しましたが、そこには「台徳院殿霊廟」の模型がありました。台徳院とは、二代将軍秀忠の諡です。霊廟は、三代将軍家光によって境内の南側に造営されましたが、米軍の空襲で破壊され、模型だけが残ったわけです。この模型は、高村光雲らの監修で製作されたもので、明治43年(1910年)、ロンドンで開催された日英博覧会に東京市の展示物として出品され、そのまま英国王室に寄贈されましたが、約100年後の2014年に増上寺に「長期貸与」の形で返還されました。

増上寺 徳川将軍家墓所 二代秀忠公と正室お江の方 keiryusai.net
増上寺 徳川将軍家墓所 二代秀忠公と正室お江の方 keiryusai.net

 この模型=撮影禁止=が残っていたお陰で、戦前には国宝に指定されていた台徳院殿霊廟のありし日の姿を見ることが出来るのです。現在の「徳川将軍墓所」には二代将軍秀忠を始め、十四代将軍家茂ら6人の将軍と二代将軍秀忠の正室お江の方(崇源院)らの墓が狭い敷地の中に押し込められていますが、本来でしたら、あのように、それぞれ広大な敷地の霊廟が個別にあったことが分かります。

増上寺 徳川将軍家墓所 keiryusai.net
増上寺 徳川将軍家墓所 keiryusai.net

 パンフレットやパネルの説明では、国宝の霊廟は「戦災により消失」としか書かれておらず、誰が破壊したのか「主語」が書かれていません。敗戦国として戦勝国に対して遠慮しているのでしょうか? 日本の国宝第一号の名古屋城を空爆で破壊したのも米軍です。こういった蛮行を行なった主語は、曖昧にせず、はっきりと歴史として残さなければならないと私は思っています。

 人の国の国宝破壊は大罪のはずです。米軍は、戦後統治のために、日比谷の第一生命本社ビルはGHQ本部として、宝塚劇場は、兵士の慰安施設として、わざと空爆せずに温存しました。80年前、米軍は既にピンポイントで爆撃する技術能力を持っていたわけですから、国宝建造物をピンポイントで空爆することは容易いことです。それは、イスラム原理主義のタリバンがバーミヤンの石仏を破壊したのと全く同じ行為です。

 そんなことを考えながら私は、展示物の模型を拝見していました。

増上寺 徳川将軍家墓所 六代家宣公 keiryusai.net
増上寺 徳川将軍家墓所 六代家宣公 keiryusai.net
増上寺 徳川将軍家墓所 keiryusai.net
増上寺 徳川将軍家墓所 keiryusai.net

江戸人も食した老舗蕎麦

 増上寺境内の東照宮などを含め、あらかたの建造物を拝観した後、本日のメーンイベントである老舗蕎麦屋さん「更科布屋」に直行です。何しろ1791年の創業です。フランス革命の2年後です。モーツァルトが35歳で亡くなった年でもあります。

 江戸人も食したことでしょう。令和人の私は天せいろ(1600円)、Sさんは穴子せいろを注文し、それに昼間っから熱燗2合まで頼みました(笑)。極楽です。自由人の特権です。

1791年創業「更科布屋」 keiryusai.net
1791年創業「更科布屋」 keiryusai.net

「め組の喧嘩」の芝大神宮

 少しきこしめしたので、その足でこの店近くの芝大神宮をお参りしました。ここは、歌舞伎の演目にもなった有名な「め組の喧嘩」が行われた舞台になった所だったのです。

 「め組の喧嘩」は通称で、本題は「神明恵和合取組(かみのめぐみわごうのとりくみ)」。境内で起こった力士と町火消しの若い衆との喧嘩を題材にした世話物です。

芝大神宮 keiryusai.net
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心が疼く芝公園

 この後、まだ時間があったので、芝公園を散策することにしました。かつては増上寺の境内だったこの公園は、道路を挟んで分散していたり、プリンスホテルや東京タワーの敷地になったりしていますが、半日では回れないほど広大です。

 正式名称は「東京都港区立芝公園」です。公園内に図書館もあり、港区民は日本一幸せ者だと思いました。悔しかったら、高級住宅街の多い港区に住めば良いのでしょうが…。

芝公園 keiryusai.net
芝公園 keiryusai.net

 もう半世紀も昔の話ですが、この芝公園は、私が学生時代にお付き合いしていた女学生とのデートコースでした。彼女はこの芝公園の近くに住む祖母の家に下宿していたので、一番近い、安上がりのデートコースでした。その後、彼女の方から立ち去ってしまったので、芝公園は、ほろ苦いハートブレイク・パーク(公園)になってしまいました。

芝公園 keiryusai.net
芝公園と明治の高級料亭「紅葉館」の跡地に立つ東京タワー keiryusai.net

 あれ以来の半世紀ぶりの散策だったかもしれません。

 あれは青春の大事件でした。いい年こいて、いまだに心が疼いてしまいました。

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