京都に来て3日目にして、やっと本格的な京都市内観光となりました。予め、行きたい神社仏閣を生成AIを使って旅程を作成したところ、「大徳寺・京大・東山エリア満喫コース」となっておりました。
そして、事前に連絡を取って、この日は元吉さんに同行して頂くことになりました。元吉さんは、京都旅行ブログの初日に出てきた東郷氏が東京で主宰していた勉強会「おつな会」のメンバーだった河井さんの京都大学経済学部のゼミの後輩です。私の渓流斎ブログの長年の熱心な愛読者ということで、今回初めてお会いすることになったのです。元吉さんは大阪在住ですが、京都市内に詳しそうで、ランチは京大の学食に連れて行ってもらおう、という魂胆があったのです(笑)。
何度もメールの交換をしておりましたが、初対面なので、私が3連泊している烏丸御池のGホテルのロビーでお会いしました。名刺交換させて頂くと、「茶道裏千家 助教授」と「華道◯◯流師範」という立派な肩書をお持ちだったので、恐れ入り野の鬼子母神でした。
これから、二人の弥次喜多道中が始まりますが、元吉さんは、目的地の出入口やバス停の在所などをスマホで瞬時に検索してくれて、まるで優秀な特別秘書官を連れて歩いているようで、大変お世話になってしまいました。それに、私のつまらない冗談でもよく笑ってくださいました。
大徳寺
最初に向かったのは、大徳寺です。豊臣秀吉が織田信長の葬儀を執り行った寺で、「木造織田信長坐像」が安置されている寺(総見院)、そして、三門の上に千利休の像を置いたことで秀吉の怒りをかったという茶道に縁のある寺、そして一休さんの寺…というぐらいの予備知識しかありませんでしたが、実際に参拝してみて、これほど境内が広いとは思いませんでした。
境内面積約18万平方メートルですから、東京ドーム約4個分に相当します。


とは言っても、大徳寺という一つの寺があるわけではなく、2カ寺の別院と21の塔頭(たっちゅう=子院)の集合体で、全てが一般公開しているわけではないことが行ってみて初めて分かりました。
公開していない塔頭の門前には「拝観謝絶」の看板が掲げられていたので、元吉さんは「まるで、『面会謝絶』みたいですね」と言うのです。上手いことを言うものです(笑)。私も昔、大阪に3年ほど仕事で住んだことがありますが、電車に乗ると、ドアに「指詰め注意」とシールが貼ってあり、「流石に、関西は本場で凄い所だ」と、その言語感覚に感心したことがありました。元吉さんは大阪の人なのに、京都人の言語感覚に違和感を覚えたことで、「同じ関西でも違うんだなあ」と、また我ながら感心してしまいました。
勿論、「拝観謝絶」なんて、関東人でも驚く表現ですが(笑)。

我々が巡った塔頭は、公開されていた「大仙院」(500円)と「龍源院」(400円)と「黄梅院」(1000円)と「瑞峯院」(400円)の4カ所でした。かっこ内は拝観料です。もし、全部の塔頭が「謝絶」せずに、全て公開していたら、相当な拝観料になっていたことでしょう。
この日の夕方、市内の京寿司店で、また東郷さんらも交えて懇談しましたが、東郷さんは「大徳寺なんか、地元の人は誰も行きませんよ。ボッタクリみたいなもんですよ」と憤慨していました。確かに、この後、参拝した知恩院は「無料」でしたからね。












結局、信長坐像のある総見院は、春秋の特別公開でなければ拝観出来ず、千利休像がある三門も柵で囲まれて非公開でしたので、所期の目的は達成できませんでしたが、訪れた塔頭にはそれぞれ、見事な枯山水の庭があり、それなりに満足出来ました。寺宝の仏像や掛け軸などは運搬できるので、東京の博物館などでも鑑賞出来ますが、本堂や庭は運べません。現地に足を運ばなければ見ることが出来ませんからね。
私の普段の心掛けが良いのか(笑)、旅行中は天候に恵まれました。枯山水庭園の前の日当たりの良い「縁側」に座って、眺めているだけで、心が安らぎ、大変な癒し効果になりました。
しかも、平日の午前中のせいなのか、ほとんど他に参拝客の姿はありませんでした。居たとしても1人か2人です。何処の塔頭でも、「特等席」で、口を開けてボーと枯山水を眺めることが出来ました。
京都大学
大徳寺境内には2時間ぐらい滞在すると、昼時になったので、元吉さんの母校である京都大学に向かいました。一般人でも入れる学食でランチを取るためです。そしたら、学食は、春休みとかで休業中だったのです。仕方がないので、校門近くに新しく出来た洒落たカフェテリアで、私はランチの「ルーローハン」(820円)と生ビール(580円)を注文しました。昼間からビールですよ(笑)。何か、旅行中に、心身ともに健康を取り戻した感じになりました。

平安神宮
この後、また市バスを使って平安神宮に向かいました。勿論、バスの停留所や乗るべきバスの系統を調べてくれたのは、優秀な特別秘書官です。何故、平安神宮にしたのかと言いますと、テレビで、「令和の改修」をやっていたからです。そろそろ、改修も終わった頃だろう、と勝手に思って参拝に行ったら、まだ改修中で、本殿の奥まで参拝出来ず、だだっ広い境内を右往左往するだけで終わってしまいました。

平安神宮は、廃仏毀釈政策を推進した明治新政府の肝煎りで明治28年に創建された京都にしては比較的新しい神社ですが、毎年10月に、「動く歴史絵巻」とも呼ばれる京都三大祭りの一つ、「時代祭」を主催(平安講社)する神宮でもあります。豪華絢爛の衣装でパレードするので、時代祭は地元呉服商暖簾(のれん)会の発案ではないかという説もあるようです。
昨秋は、東郷さんも「時代祭」に参加(出演)したそうです。
知恩院
この後、歩いて知恩院に向かいました。知恩院は、浄土宗の宗祖・法然が、比叡山延暦寺での修行を終えて、草案を結んだ地に建てられたと言われています。
6世紀に鎮護国家の思想宗教として日本に仏教が齎され、当初は皇族や貴族のための宗教だったものを、法然上人は1175年、この地に庵を結び、たとえ身分が低い庶民でも、そして、当時差別されていた女性でも、「南無阿弥陀仏」と唱えれば、極楽浄土に行けるという革命的な思想を説いた人です。私も尊敬しているので、是非とも一度は、浄土宗の総本山である知恩院にお参りしたいと思っていたのでした。
意外と知らない人が多いのですが、大師号と言えば、弘法大師の空海が一番有名ですが、実は、法然上人(1133〜1212年)には、没後50年ごとに朝廷から追贈された史上最多の八つの大師号(円光、東漸、慧成、弘覚、慈教、明照、和順、法爾)があるのです。

国宝の「御影堂」でお参りした後、靴を履き替えようとしていた所で、話好きの初老の寺男さんが我々に話しかけてきて、知恩院の歴史を話してくれました。大体、私も知っていることなので、ふんふんと頷いておりましたが、「法然上人は、この地で亡くなったんですよ」と寺男さんが仰るので、慌てて、法然上人の廟堂をお参りすることにしました。やはり、事前にしっかりと勉強して予備知識を得ておくものです。でも、話好きの寺男さんがいたお陰で、助かりました(笑)。

知恩院といえば、国宝の三門ですから、こちらも外から拝観しました。無料です(笑)。特別な日でないと、三門の上階は一般公開されていませんが、知恩院を再興した徳川家康は、この三門の上階に登って、一望できる京都市内の御所に睨みをきかせていたという逸話を思い出しました。
大変立派な三門でした。

青蓮院門跡
まだ時間があったので、知恩院の隣り近くにある天台宗の青蓮院門跡(600円)にも立ち寄り、枯山水ではない見事な日本庭園を鑑賞することが出来ました。

「いづ源」にて
この後、バスに乗って、四条綾小路下ル「いづ源」という京寿司屋さんへ。東郷さんらと懇談するためです。この時、おつな会のメンバーだった河広さんと久しぶりにお会いしました。おつな会は16年前に解散したので、実に16年ぶりの再会でした。河広さんは数年前に東京から京都府亀岡市に転居し、1年半前に京都の洛中から少し離れた嵯峨野に引っ越して来たというのです。

名刺も頂きましたが、河広さんは歩くことが趣味で、1日おきに、嵯峨野から京都市中まで1時間半も掛けて、電車もバスも使わず、歩いて来るそうです。往復2万歩以上です。その間に、観光客が行かない狭い細い路地を歩き、「900円以下のランチをやっている飲食店を探すこと」を生き甲斐にしているというので感服してしまいました。趣味と実益を兼ねているようなものです。
河広さんは、若い頃は苦労したようですが、今は大変充実した人生を送っておられるような感じでした。血色も良く、ニコニコしてました。あやかりたいなあ、と思いました。
※登場人物は仮名です。


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