幾ら待ってもお声が掛からないので、こちらから押し掛けることに致しました。1月9日(金)、生まれて初めて迎賓館赤坂離宮(東京都港区元赤坂)に行って参りました。

東京都内で数少ない「国宝」に指定されております。私は、不勉強でひどく勘違いしておりました。国宝と言えば、室町や安土桃山以前の時代の芸術作品が選ばれることが多く、江戸時代でも少ないというのに、何で昭和に建てられた建築物が国宝に選ばれるのか、と思っていました。
そしたら、大間違いでした。昭和49年(1974年)に村野藤吾(1891〜1984年)の陣頭指揮で、大改修が行われましたが、明治42年(1909年)、東宮御所(皇太子の居所、後の大正天皇)として、片山藤吾(1854〜1917年)によって建設された建造物は健在だったのです。つまり、明治の建造物だったのです。(ちなみに明治以降の建造物で国宝に指定されたものは、迎賓館が第一号で、続いて、群馬県の富岡製糸場、長野県の旧開智学校校舎があります)

それは片山藤吾の「先見の明」がありました。彼は、工部大学校(現東京大学建築学科)第一期生で、同期に東京駅舎などを設計した辰野金吾もおります。
当時としては珍しく耐震性を重んじて、1.8メートルも分厚い壁まで作ったそうです。何しろ、皇太子殿下の居城ですからね。お蔭で、大正12年(1923年)の関東大震災でもビクともせず、昭和20年(1945年)、米軍も戦後利用を見込んだのか、空爆を避けたので、東京焼け野原の中に辛うじて残ったわけです。

とはいえ、完成後、皇太子は住むことはなかったそうです。明治天皇が「少し華美過ぎないか」と仰ったことが耳に入ったから、という説があるようですが、真相は不明です。いずれにせよ、フランスのヴェルサイユ宮殿を思わせるネオ・バロック様式の見事な宮殿です。その荘厳さは日本国内では比類無比です。建設途中の当時の時代背景には日露戦争などもあり、大国として国力を世界に見せつけたいという薩長閥の明治政府の思惑があったようです。
余談ですが建築家の片山藤吾は長州藩出身で、幕末に奇兵隊として参戦したそうですが、まだ13歳ぐらいですから、どれだけの働きをしたかどうか…。
紀州藩の江戸中屋敷だった
そうそう言い忘れましたが、ここは元々、徳川御三家の紀州藩の中屋敷跡だったのです。敷地面積は50万平方メートル、東京ドーム10個分で、東京ディズニーランドと同じくらいだそうです。迎賓館に隣接する赤坂御用地には今の上皇陛下のお住まいになっておりますが、そこまで紀州藩の中屋敷でしたから、徳川幕府の権力が如何に膨大だったのか、ということが良く分かります。
見学ツアーに参加
ご招待されないので、迎賓館見学ツアー(一般2000円)は、ネットで申し込みました。一人で行くのも無粋なので、Sさんをお誘いしたら快諾してくれました。でも、当日、時間的余裕を持って自宅を出たというのに、その日に限って、電車が電気系統の不具合で15分も遅れました。四ツ谷駅から走ってやっと間に合いました。Sさんはスマホを持たない人なので、遅れそうなことも連絡出来ず、ヒヤヒヤしました。
18人が参加した見学ツアーは、昭和49年の大改修の際に建てられた茶室のある「和風別館」游心亭(谷口吉郎設計)が中心でした。案内役は、60代ぐらいの滑舌があまり良くないおじ様でした。彼は、館内の撮影は禁止、館内は土壁で出来ているので、「触らないように」「触れないないように」「かばん等は前に抱えて持つように」などと何度も、何度も、注意するので、耳にタコが出来てしまいました。

ガイドさんによると、迎賓館は戦後、昭和39年の東京五輪組織委員会室や国会図書館としても使われたそうです。当時は喫煙社会でしたから、煙草モクモクだったそうです。今は禁煙です。
昭和49年の大改修後、エリザベス英女王始め外国の賓客の接待会場となり、これまで372回もの接遇があったそうです。

約1時間の別館ツアーの後、本館は自由に見学出来ました。とにかく、何処もかしこも警備員やスタッフが多過ぎると思いました。
最後の舞踏の間である「羽衣の間」で、ちょうど話をしたくてしょうがないようなガイドさんがいたので色々とお話をお伺いしたところ、迎賓館本館には100ぐらいの大小の部屋があるというのです。そのうち、首脳会談などが行われる「朝日の間」など2階の4間だけ一般公開されていました。
皇太子がお住まいになる予定の部屋は1階だったそうで、皇太子は右側の部屋、皇太子妃は左側の部屋にお住まいになるよう設計されたそうです。
ところで、迎賓館の監督官庁は宮内庁か外務省かと思っておりましたが、意外にも内閣府だったんですね。当然ながら、館長さんは、内閣府出身ということになリます。

迎賓館の一般入場は西門からでしたが、貴賓が使う正門は帰りの出口としてだけ利用出来ました。この正門は全長約160メートルで国宝に指定されています。また、暇そうな(笑)案内人の方がいらして、色々と講釈してくれました。正門はフランスの技術者によって作られたそうで、無垢の鉄で出来ているそうです。
私は全くピンと来なかったのですが、Sさんは大感激して「無垢ですか?本当ですか?」と何度も確かめていました。建築物で使われる大抵の木材や鉄材は中が空洞になっているのですが、無垢というのはそのまんまだということで、無垢の鉄となるとかなり重いそうです。勿論、高価です。

ということで、明治42年に完成した東宮御所は当時の金額で510万円も建築費用が掛かったそうです。昭和49年に大改修した際、510万円は約2000億円相当だったらしいので、その50年後の現在、同じものを建造するとなると5000億円、いや数兆円ぐらい掛かるかもしれません。
建築費は、国民の税金ですから、将来、このような建造物が建築されることはもう二度とないかもしれません。

もしくは、前澤友作さんや孫正義さんや柳井正さんのような大金持ちの皆様に、宇宙なんか行かなくて良いですから、後世に残る建造物を建ててもらいますか(笑)。


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