私は時事通信社という戦前の国策報道機関・同盟通信の流れを汲むマスコミに1980年4月から2024年9月まで実に44年半も在職しました。でも、いわゆる外回りの取材記者として活動出来たのは、その約半分の25年間ぐらいだったでしょうか。取材記者は「夜討ち朝駆け」という体力勝負ですから、若いうちにしか出来ません。現場の記者は20代や30代の若者ばかりです。紅衛兵みたいなもんです。
新聞業界の記者は大体、20代で入社して40代後半には「デスク」として上がって、後輩記者の書く原稿を校閲・校正する内勤の仕事に回されてしまうのです。まさに双六の上がりです。
私の場合、運動部に10年、文化部に10年、北海道帯広支局に2年半、海外速報(経済)部に3年と取材記者として活動しましたが、残りの20年間ぐらいは編集校閲の泊まり勤務もある整理部などの内勤でした。これは組織ですから、まず自分の希望は殆ど通りません。私は文化部の仕事が気に入っていたので、退職までいたかったのですが、当時の上司との折り合いが悪く、43歳にして整理部に飛ばされてしまい、それ以降は、涙ながら、左遷の塩漬け人事に甘んじました。
まるでスポーツ紙記者?
新聞メディアの場合、大体、政治部か経済部記者がエリートで、特派員とか、社長コースを歩みます。私の場合、配属されたのが、たまたまスポーツとか芸能、文藝担当だったので、まるでスポーツ新聞記者みたいでした。その証拠に私が書いた記事が契約していたサンケイスポーツなどに載ったりし、また、多くのスポーツ紙や夕刊紙の記者とも仲良くなったりしました。
さて、取材記者として一体何人の人に会って話を聞いて来たのか振り返ってみましたが、殆ど覚えていません。何百人だったのか、何千人だったのか…。もしかして何万人というレベルだったかもしれませんが、分かりません。取材ノートも既に処分してしまったので、確認しようもありません。
まあ、人数はともかく、取材相手で最も忘れられない人は、無名のNさんです。文化部記者時代、家庭面の取材をした際にお会いした方で、無責任ながら詳しい内容は忘れました(笑)。それでも、最も忘れられない言葉が、取材が終わった後にNさんが恐る恐る言い出した文言です。「いくらお支払いすれば宜しいのでしょうか?」
Nさんは、取材される側ですが、新聞記事として取り上げられると宣伝になるので、その広告料は幾らになるのか、「もし高かったらどうしようか」といった不安げな表情を浮かべていたのです。後にも先にも、こんなことを言って来たのは私の取材体験で、このNさんたった一人です。だからなお一層、Nさんのこの言葉が忘れられないのです。
共同通信は交際費が、でも…
テレビや雑誌はともかく、新聞の場合は、タダで取材させてもらっています。政治家も芸能人も有名人でもタダで取材させてもらっています。勿論、相手は宣伝になると思っているから、忙しい時でもわざわざ時間をあけて待ってくれたりするのです。
考えてみれば凄い商売ですよね? 原価がタダだとは! それでも、時事通信社は貧乏な株式会社でしたから、取材費は交通費ぐらいで取材先に支払う御礼の経費は出ませんでした。芸能人が亡くなった時の御香典も自腹で払ったぐらいです。ライバルの共同通信の記者は、取材相手との「交際費」が出て、夜の飲み会などに使っていました。その一方で、時事通信記者は、独占インタビューする際、いつも平身低頭して、「タダでお話を聞かせてください」と声には出しませんが、後ろめたい気持ちで取材せざるを得ませんでした。
そんな時に、取材相手から、逆に「いくらお支払いすれば宜しいのでしょうか?」と言われれば、そりゃあ、驚愕するわ、恐縮するわ、困惑するわ、ですよ。


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