【忘れ得ぬ言葉】第11回 「いつか必ず良いことありますよ」 熱田千華子さん

 熱田千華子さん(1965〜2004年)は、私の時事通信社文化部時代の後輩でした。4年間ほど、私と一緒に文芸担当記者となり、隣りの席で仕事をしていました。

 彼女はその後(1996年)、会社を辞めて渡米。マサチューセッツ州立大で学びながら、J・ケネディ事務所での仕事に参加し、1998年には、ロックポートのオープン・ブック・システム社に入社。全米向けの「もののけ姫」の広告サイトを手掛けます。 その後ブライトンのTWI社に移籍し、ウェブサイト・デザイナーとしてタイガー・ウッズのオフィシャルサイト制作に従事しました。

 しかし、2004年、ボストンで自転車に乗って通勤途中に交通事故に遭い、不慮の死を遂げてしまいました。行年39歳という若さでした。

 彼女の渡米後の経歴が何で分かるのかと言いますと、彼女のジャーナリストとしての「仕事」が掲載されたホームページ(HP)がいまだにネット上に残っているからです。熱田さんはもう20年以上も前に他界されたので、彼女がHPを維持しているわけがなく、恐らく、彼女を慕う友人がいまだにサーバー代、ドメイン代を支払って維持していると思われます。

 彼女には色々な逸話がある人ではありましたが、先輩、後輩、同僚、取材相手ら多くの人から愛されるキャラクターの持ち主でした。ICU 国際基督教大学で学び、在学中、交換留学生としてジョージア州のウェズリアン大学に留学したりしていましたから、英語はネイティブ並みで、通訳なしで要人にインタビューするのが得意でした。結婚したお相手も確かオーストラリア出身の方だったと思います。

 彼女とは4年間、隣りの席で一緒に仕事をしていたので、親密にならざるを得ません。

マスコミ界のヒエラルキー

 以前もこのブログで少し書きましたが、マスコミ業界、特に新聞業界には士農工商のようなヒエラルキーがあって、下層マスコミはなかなか大物要人からは相手にされません。業界では「産経残酷、時事地獄」という誰が言ったのか知りませんが、産経新聞と時事通信は「大手マスコミ最下位」として、いつも割りを食うことが多いのです。例えば、ある映画の独占インタビューがあったとしたら、大物主演俳優は朝日新聞や読売新聞、監督は日経新聞、共同通信、主演女優は毎日新聞、助演女優ぐらいなら産経新聞、東京新聞、時事通信…といった具合に、暗黙的に配置されることが多かったのです。

 ある日、具体的な名前は省略しますが、ある大物作家に私が電話でインタビューを申し込むと、やはり、すげなく断られます。そうなると、当然、私はブツブツ言いながら、頭を抱えます。そんな時、隣りにいる熱田さんは決まって「仕方ないんじゃありませんか? いつか必ず良いことがありますよ」と励ましてくれるのです。

 この「いつか必ず良いことありますよ」という彼女の言葉は、今でも私の耳の奥にこびりついています。ということは、こういったケースが一度や二度ではなかったということになります。恐らく、10回以上はあったということなのでしょう。私は、取材先から断られるとすぐに落ち込むタイプだったので、その度に熱田さんは私を励ましてくれたのです。

 そんな彼女も早くして亡くなってしまいましたので、尚一層、この言葉と彼女の笑顔はいつまで経っても忘れられないのです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました