公私共に親しくさせて頂いた作家が山崎朋子さんだとしますと、数多くお会いした芸能人の中で最も親しくさせて頂いた人は女優の三田佳子(1941〜)さんです。
1960年にデビューし、映画「遠き落日」、大河ドラマ「花の乱」など多数の作品に主演し、昭和平成を代表する大女優ですが、素顔は庶民的で(実際は富裕層ではありますが)、飾らない非常に真面目な性格の人です。筆まめな人で、私のような人間にも何通も何通もお手紙を頂きました。
「親しかった」というのは、度々、彼女が都内のタワーマンションに、マスコミ記者を集めて開く懇親会に呼ばれたり、文通したりしたという意味です。いずれも字にしなかった(記事にしなかった)ので、半分は個人的なおつき合いみたいなものでした。
彼女は何本もテレビコマーシャルに出演し、高額納税者番付において俳優・タレント部門で1991年から94年まで4年連続で首位を獲得した「全盛期」の頃にお会いしました。「好事魔多し」とはよく言いますが、ちょうどこの時期に、高校生だった次男が友人らを集めて自宅で薬物を使用するパーティーを開いたりして逮捕されるスキャンダルが起き、週刊誌に色々と掻き立てられました。一時は引退も考えるなど、精神的にもどん底の状態でした(次男はその後、覚醒剤取締法違反で複数回逮捕)。
記者会見した際に「私たち夫婦の教育の失敗」などと懺悔しておりましたが、同情したくなりました。親が裕福で、月に70万円ものお小遣いがもらえるのなら、子供は一生働きませんよね。私も働きません(笑)。三田さんのご主人は、元NHKプロデューサーの高橋康夫氏で、1991年の大河ドラマ「太平記」の製作総指揮を務め、当時、私はテレビ担当だったので、何度か取材でお世話になりました。二人が結婚したての頃、高橋さんが三田さんに月給袋を渡すと、三田さんが「これ日給ですか?」と言ったか、言わなかったのか、記者の間では伝説のように広がっておりましたが、さすがに私も高橋さんにはその裏を取るようなことはしませんでした(笑)。
いずれにせよ、三田さんは絶頂期に、次男の不祥事と自身の子宮の病気で緊急入院されるなど散々でした。何度も言いますが、好事魔多しです。そんな、絶頂とどん底を同時に味わう時に、お会いしたり、手紙のやり取りをしましたので、当然、自己内省的は言葉ばかり彼女の口から出て来ました。「私は特別な人間だとは思っていないのですが…」もその一つです。
手紙は私信なので、内容はこのブログにあまり書けませんが、「育て方が悪かったと思っています」と言った反省の言葉で溢れておりました。彼女と直接お会いしているので、彼女の苦悩が痛いほど分かりました。

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