「ブログの時代は終わった」と巷間で言われながらも、私は書き続けております。自分でも分かりません。意地みたいなものかもしれません。
ネット時代、スマホ時代となり、虚実混交のあらゆる情報が巷に溢れています。が、「多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」というカエサルの言葉を引用するまでもなく、皆、自分の信じたい、見たい情報しか接しないことでしょう。つまり、自分自身で取捨選択しているわけです。
私も多くの情報に接しながら、取捨選択し、興味を持ったニュース(話題)は、皆さんと共有したくなります。最近、興味を持ったのは、語弊があるかもしれませんが、「人間の儚さ」と言いますか、「人間は運命に左右され、この先、何が起きるか分からない」ということです。
前向きに生きる姿に感動
例えば、10月17日に共同通信が配信した「車いす生活の山下泰裕氏「幸運も不運も人生」2年前に頸髄損傷の大けが、負傷後初のメディア対応」という記事です。五輪柔道の金メダリストで日本オリンピック委員会(JOC)会長だった山下泰裕氏(68)が2年前に温泉に行った際、露天風呂から上がる時に意識を失い、2メートル近い崖下に転落し、大怪我を負った後、初めてインタビューに応じた記事です。私は、1984年のロサンゼルス五輪で山下選手を直接取材したことがあり、近しく感じていたので、「あんな身体を鍛えたスポーツ選手が不運に見舞われるなんて、人の運命は分かったものじゃないなあ」と大怪我のニュースに接した際、思ったものでした。
当の山下氏は現在、首から下がほとんど動かせず、車いすで生活をしているといいますが、「良いことも悪いことも、幸運も不運も、いろんなことが起きての人生だ」と語ったそうです。大変な苦悩の中、前向きに生きる姿に頭が下がる思いでした。
ゴミとなった稀覯本
もう一つ、「約2万冊の大半が「ゴミ」に…知の怪人・荒俣宏が蔵書を処分して感じたこと」という週刊現代の記事が目にとまりました。作家の荒俣氏(78)が昨年、釣り舟から落ちて出来た怪我の傷口に雑菌が入ったようで、蜂窩織炎を発症し、3週間ほど入院したことをきっかけに「この先、また何か突然、事故が起きるかもしれない。今のうちに身辺を整理しておこう」ということで、今年7月に一戸建てからマンションに引っ越し、蔵書は約500冊は手元に残したものの、約2万冊のうち引き取り手がなかった1万冊はゴミ処分になってしまった苦労話です。
話はちょっと違いますが、フランス文学者の桑原武夫さんの約1万冊の蔵書が、京都市に寄贈されながら、遺族に断りもなく、一部が廃棄処分されたニュースを思い起こされました。
この先、何が起きるか分からない
本当に、人生、何が起きるか分かりません。この先、30年以内にかなり高い確率で南海トラフ地震が起きると専門家は警鐘を鳴らしています。有名人でさえこうですから、我々無名の庶民に至っては、さらに多くの至難に遭っていることでしょう。私の旧友のA君も昨年、居酒屋で椅子から引っくり返って後頭部を打撲し、全治6カ月という、かなりの重傷を負いました。
お名前は挙げませんが、私の元会社(時事通信社)のかなり多くの先輩と後輩が50代で亡くなっています。おつな寿司セミナー(現在解散)の仲間だった翻訳家の片岡みい子さんは67歳、朝日新聞の論説委員も務めた隈元信一氏は69歳の若さで病で亡くなっています。
「良いことも悪いことも、幸運も不運も、いろんなことが起きての人生だ」という山下泰裕氏の言葉が再度、心に染み入ります。
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