反AI論 

AIのヒエラルキー(出典Wikimedia Commons) 雑感
AIのヒエラルキー(出典Wikimedia Commons)

 私には予知能力がなく、時流に乗ることさえ出来ない平凡な人間ではありますが、最近のAI(人工知能)の発展には頭を痛めています。確かに便利になった利点はありますが、リスクの方が大きいと感じています。

 悲観的かもしれませんが、このまま進めていきます。シンギュラリティという言葉があります。AIが人間の知能をあらゆる側面で超える「技術的特異点」を指す言葉で、2045年にはそのシンギュラリティが到来すると言われています。

 でも、生成AIの登場と発展によって、2025年の現在で、シンギュラリティは到来しているのではないかと思っています。既に、AIはチェスや将棋や囲碁のチャンピオンを打ち負かしてしまっています。人間はもうAIに勝てないのです。生成AIはアインシュタイン並みの立派な科学論文も書けてしまうそうですね。

 人間しか出来ないと思われた芸術はどうかといえば、既に、ピカソやゴッホの複製や彼らに似た画風の絵画までAIは描けてしまいます。3Dプリンターを使えば、ロダンの彫刻でも簡単にコピー出来ることでしょう。音楽は、もう何十年も前からサンプリングで曲が作れたりします。

 こうなると、もう芸術家もいらなくなってしまうのでしょうか?

 いや、待ってください。音楽家にとって最も大切な聴覚を失ってでも交響曲を作曲し続けたベートーヴェンの苦難と労苦は、AIは感じることさえ出来ないことでしょう。それを集積されたビッグデータの組み換えだけで、あっさりベートーヴェン風の曲をつくってしまうAIに、感動出来るのでしょうか?

鴨居玲という苦悩の画家

 鴨居玲(かもい・れい、1928~85年)という金沢市出身の洋画家がいます。晩年は、心臓病と創作の行き詰まりから何度も自殺未遂を繰り返し、ついには57歳で自死した奇才の画家です。今年は没後40年です。生涯をかけて「人間とは何か」をテーマに追求した人で、はっきり言って、見るに堪えない苦悩の塊のような人物を好んで描いています。自画像もありますが、色彩もそうですが、何かに取り付かれたように暗く、笑顔はありません。正直、目を背けたくなるような作品でも、観る者を感動の渦に巻き込んでいきます。

 AIはそんな鴨居玲の孤独と苦悩と絶望感を知り得るはずがありません。それでも、AIは鴨居玲以上の「新作」を発表したとしたら、もうこれは冒瀆ではないかと私は思いました。

気持ち悪いAIアナウンサー

 そう言えば、AIは人工知能ですから、もともと自然界にはない人工のものです。失礼ながら人工甘味料や人工着色料などと同じレベです。こんな悪口を書けば、AIで大儲けを狙っているITテックから非難されることでしょうが、そこまで踏み込んで大胆に言うべきです。だから、AIを使ってニュースを読み上げる「AIアナウンサー」を公共放送が使ったりしていますが、とても聞くに堪えません。私には気持ち悪くてしょうがありません。読み間違えても構わないので、やはり、ニュースは生身の人間に読んでほしいものです。

 以上は、予知能力のない人間の書いた世迷言です。そんな人間の悲観論とは正反対に、恐らく今後は、ますますAIは進歩し、活用されることでしょう。AIを「全知全能の神」と誤解する人も増えていくことでしょう。

 実は、正直に言いまして、私はこのブログでさえ、生成AIを使って「校正」proofreadingしたりしていましたが、もう控えることにしました。下手で要領を得ない、つまらない文章だっていいじゃありませんか。

 だって、人間なんだもん。

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