人間、生きていると、誰しも落ち込んだり、無力感や虚無感を味わったりします。だから、人間は文学や哲学、宗教、そして芸術や科学を生み出したりするのでしょうね。
そんな時、私のメンタル不振解消法の一つに仏像鑑賞があります。ちょうど、東京・上野の東京国立博物館で「特別展 運慶 祈りの空間ー興福寺北円堂」が開催中(2025年9月9日~11月30日)ということで、早速行ってみました。
当初、東博の「平成館」で開催中かと思っていたら、そこでは目下「大奥展」が開催中で、「運慶展」は本館の1階でした。「珍しいなあ」と思いつつ入館したところ、会場は、奈良の興福寺の北円堂を再現したもので、仏像はわずか7体しか展示されておらず、せっかちな私は当初、15分で鑑賞し終わってしまいました。「これでは当日券1700円は高いなあ」と思いつつ…(笑)。
しかし、このまま直ぐ帰るわけにはいきません。もう一度、展示プレートを熟読玩味しながら、再度回ってみました。そもそも、興福寺北円堂とは、古代日本の国家の礎を築いた藤原不比等を追善供養するために、その1周忌に当たる721年8月に、元明、元正天皇が長屋王に命じて建立させた八角形の円堂といわれています。1180年の平重衡らによる南都焼き討ちで焼失しましたが、1210年頃に再建されました。この時に腕を振るったのが、晩年の運慶とその一門です。
運慶一門が製作したのは、御本尊の弥勒如来坐像と無著、世親の菩薩立像2体の計3体ですが、この他、弥勒如来の脇侍菩薩2体、持国天、多聞天、広目天、増長天の四天王立像(現在は、北円堂ではなく、中金堂に安置)の合計9体が作られました。このうち脇侍2体はその後行方不明になったということで、現在ある7体が今回展示されたというわけです。かのスーパースター運慶作が含まれていますから、この7体いずれも「国宝」に指定されています。特に、御本尊の弥勒如来坐像の寺外公開は、約60年ぶりだそうです。となると、当日券1700円は、安かったのかもしれません(笑)。
四天王のことも、無著、世親のことも色々と書きたいのですが、本日は、御本尊の弥勒如来について絞ります。お釈迦様が入滅した56憶7000万年後に悟りを開いて、凡夫衆生を救ってくださる有難い仏さまということですから、思わずその御慈悲にすがりつきたくなります。何しろ、我々が住む地球が誕生して、まだ46億年しか?経っていないのですから、56億7000万年後なんて、目が眩むような思想を古代インド人はよく考えたものです。
弥勒とはイランのミトラ神?
ところが、弥勒(マイトレーヤ)とは、歴史上の人物である釈尊を差し置いて、ペルシャ(イラン)のミトラ神を仏教に取り入れて考え出されたものだという説があります。そこで、文殊菩薩は「法華経」の中で「マイトレーヤは名声ばかり追い求めて、怠け者であった」と痛烈な皮肉でその過去を明かしていたというのです。(植木雅俊訳・解説「法華経」角川文庫)
このように仏教思想は複雑で、釈迦一人によって生み出されたわけではなく、周辺国の思想や多くの弟子たちの思想も取り入れ、複合体のように発展した宗教であることが分かります。
とはいえ、私自身は、複雑怪奇な思想は横に置いといて、有難い仏像を目の当たりにするだけで心が洗われるような気持ちになります。特に運慶作となると、猶更、格別です。
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