若い頃は、あまり仏教思想が好きになれませんでした。特に「四苦八苦」です。つまり、生・老・病・死の「四苦」に、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦の「四苦」を加えた人間が生きる上で避けて通れない八つの根源的な苦しみのことをいいます。
平たく言えば、人生とは自分の思い通りにならず、「人生とは苦なり」と諦念することだというのが、仏教思想だと言えます。とはいえ、煩悩の塊の衆生凡夫では、悟りを開くことなど困難ですから、一生、苦悩を背負って生き続けなければなりません。
これでは身も蓋もありませんから、お釈迦さまは、執着を捨てて修行し、あらゆることから心も身体も解放されて解脱せよ、と説いております。
しかし、若い頃は煩悩だらけで、出家するわけにもいきませんから、「とても無理」と、仏教嫌いになったと思います。
救われる言葉
さて、歳を重ねた現在、若い頃とは真逆にこの仏教思想が一番しっくり来ます。特に、人生とは自分の思い通りにならず、苦悩の連続だということは経験上、確かだったからです。
ただ、毎日、指を咥えて、苦悩まみれになっているだけでは疲れてしまいます。そんな中、最近、とても救われる言葉を見つけました。「苦中有楽(うらく)、苦即楽」です。これは福澤諭吉(1835〜1901年、66歳没)の「福翁自伝」の中にある言葉ですが、「苦しみの中にも楽はある。苦とは楽だ」といった意味でしょうか。
これは、福澤が幕末に、大坂の緒方洪庵の「適塾」で学んでいる際、しらみも出る猛暑と真冬は極寒と全国から集まる俊英らの鮨詰め状態の酷い環境の中で勉学に励まなければならない苦しい中で辿り着いた心境を振り返ったものです。
「どうしたら立身できるか、どうしたら大金が手に入るか、そのようなことばかり心惹かれて齷齪勉強するのでは決して真の勉強はできないだろう。ただ難しければ面白い。苦中有楽、苦即楽。そんな心境だった」と書いております。
ですから、福澤のこの文は「人生苦」のことを語っているわけではありませんが、後世の人間が、人生苦に当て嵌めても構わないと思っています。
福澤は、このあと、苦しいとは言っても、最先端の西洋の文物を学べる幸せのことも書いています。このことから、私は「人生とは一生勉強であり、人生は苦に満ちてはいるが、楽もある。そんな苦しみによって初めて幸せを感じることができる」などと勝手に解釈してしまいました。
「苦中有楽、苦即楽」。しばらくは、私の座右の銘にしたいと思っています。

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