最近、個人的にトラブル続きです。我ながらどうかしています。ストレスとプレッシャーで押しつぶされそうです。「3月は季節の変わり目なので、ヒトは変な行動をとることがあります」と、いみじくもSさんが仰っておりましたが、その通りでした。世界経済を混乱させている裸の王様もそうかもしれません。
そこでメンタルヘルスのため、花見見物も兼ねて昨日、小旅行に行って来ました。歴史散歩です。目的地は、後楽園です。後楽園とはいっても、日本三大庭園の一つである岡山県の後楽園ではありません。東京都文京区の小石川後楽園です。江戸時代、徳川御三家の一つ、水戸藩の上屋敷があったところです。
独りで行っても良かったのですが、前日にSさんに連絡したところ、急な話なのに快諾してくださったので、二人での弥次喜多道中となりました。ちなみに、十返舎一九の「東海道中膝栗毛」の弥次さんこと弥次郎兵衛は49歳、嘉多さんこと喜多八は29歳と20歳も歳が離れていたことをご存知でしたか?
小石川後楽園
小石川後楽園は、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に水戸家初代藩主徳川頼房(よりふさ)が江戸の中屋敷(明暦の大火後に上屋敷となる)に築造し、二代藩主光圀のの代に完成した江戸の大名庭園として現存する最古の庭園です。
光圀は、明の儒学者で日本に亡命していた朱舜水(しゅ・しゅんすい)の意見を取り入れ、宋の笵仲淹(はん・ちゅうえん)の『岳陽楼記(がくようろうき)』中の「先天下之憂而憂 後天下之楽而楽」「(士はまさに)天下の憂いに先だって憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から「後楽園」と名付け、円月橋など中国の風物を取り入れた中国趣味豊かな庭園を作庭しました。(小石川後楽園HPとパンフレットから補綴)
これなら、一生に一度でも行かなければなりません。

私は、東京都内の名所旧跡に関しては、かなり訪れているつもりですが、どういうわけか、この小石川後楽園は訪れたことがなかったのでした。
もう40年も昔ですが、当時、私はスポーツ記者でしたので、後楽園には東京ドームと、この東京ドームがまだ出来る前の後楽園スタジアムでプロ野球の取材、後楽園ホールではボクシングの取材で、後楽園には何十回も行っているというのに、目と鼻の先にある小石川後楽園には行かなかったのです。若い頃は、歴史散歩に興味がなかったせいですね(苦笑)。

初めて行く所でしたので、SさんとはJR水道橋駅の西口改札で待ち合わせして、出掛けました。道に迷うかと思っていましたら、すんなりと到着できました。入場料は、シニアですと一般の半額の150円でした。これなら何度でも来られそうです(笑)。

結論を先に書きますと、本当に行って良かったでした。桜はまだ6分咲き程度でしたが、米軍による空爆で破壊され、2020年に復元された「唐門」、水面に映る形が満月のように見えることから名付けられた「円月橋」は大変、見応えがありました。

何よりも、その広大な敷地面積には驚かされました。開園面積は約7万平方メートルということになっておりますが、かつての水戸藩江戸上屋敷は、この庭園だけでなく、現在の東京ドームや後楽園遊園地まで含まれていたといいますから、その広さには目が回ります。
当時の大名の権力の大きさには圧倒されます。身分社会でしたから、貧しい農民から富を吸い上げていたことでしょう。

二代水戸藩主徳川光圀は、「天下の副将軍」水戸黄門として諸国を行脚した言われてますが、物語の世界です。実際は、水戸藩は参勤交代が免除されていたので、この広大な上屋敷に住み、隠居してからは現在の茨城県常陸太田市に残る「西山荘」に住み、「大日本史」の編纂監修に当たったといわれています。
伝通院
この後、「小石川植物園」を目指しました。小石川後楽園から歩くと、24分掛かるとAIは言うので、「地下鉄に乗りますか?」と提案すると、大学山岳部出身で健脚のSさんは「いや、歩きましょう。途中で何か見つかるかもしれませんから」と仰るではありませんか。弥次喜多と同じように、Sさんは私より年長ですが、毎日、玄米を食べて胃腸を整えているので健康そのものです。「免疫作用が一番働くのは胃腸です。生物として、脳なんか、胃腸より後から発達した器官です。胃腸こそが一番重要な器官と言ってもいいでしょう」と力説されるのです。
そして、まさに、Sさんが「途中で何か見つかるかもしれない」という通り、途中で伝通院があることが分かったのです。やはり、地下鉄に乗ってしまっては分からなかったことでした。無理をしてでも、歩いて正解でした。

伝通院は、徳川家康の生母於大の方(1528〜1602年)の菩提寺として知られています。この於大の方がいなければ、江戸時代はなかったわけですから、家康が菩提寺を建立して篤く葬った理由がよく分かります。
再来年の2028年は、於大の方、生誕500年ということで、盛大な催しが行われるようです。

この伝通院は、於大の方の他に、主に、徳川将軍の正室のお墓が結構あることを初めて知りました。大坂の陣で逃げ延びた豊臣秀頼の正室で、二代将軍秀忠の長女の千姫の立派なお墓もありました。

この他、伝通院には、Sさんと同じ備前出身で、剣豪小説家として知られる柴田錬三郎や通産官僚から作家に転じた堺屋太一のお墓もありました。
新撰組ゆかりの地
また、歩いていたら、この伝通院の隣りに、幕末の新撰組の前身、浪士隊の結成の地「処静院跡」がありました。私は新撰組の大ファンですので、「ここにあったのかあ〜」と感激してしまいました。
Sさんの仰る通り、歩けば、何か思いがけない事に出合います。

歩いていると、文京区はかなり多くの古い寺院があることが分かりました。浄土宗が多かったでしたが、日蓮宗もありました。
超高級住宅街の小石川
結構、歩いていたら昼時になったので、小石川植物園にやや近いところに「アリッサラ」というパリのカフェ風の飲食店があったので、そこに入ることにしました。

ここは、地下鉄の丸の内線茗荷谷駅と三田線白山駅の中間辺りにあります。この辺りは、歩くと超高級マンションと豪華な邸宅ばかりが並ぶ超高級住宅街でした。道路も広く、超富裕層の街です。もしかしたら、渋谷区の松濤や南青山より歴史があり、静かで、落ち着いた雰囲気があるかもしれません。
私もこの地に住めるような御身分になりたい、と思いましたが、このまま田舎で朽ち果てることでしょうねえ。食事中の歓談で、Sさんも「何歳になっても、悩みは尽きませんよ。悩みなんかなくなりませんよ」と仰るのです。
私は歳を取ったら、ただ平凡で良いから、穏やかに生きたいと思っているだけなのに…。嗚呼、またメンタルヘルスに良くないことを考えてしまいました!
小石川植物園
お店を出ると数分で、小石川植物園に到着しました。入場料は500円。小石川植物園の正式名称は「東京大学大学院理学系研究科附属植物園」といいます。
貞享元年(1684年)、徳川幕府が設けた「小石川御薬園」がその前身です。面積は約16万平方メートルと小石川後楽園の2倍以上。いずれにせよ、温室もある植物園が中心なのですが、私自身は、それ以上に、ここにあった小石川養生所の方に興味があったのでした。

小石川養生所というのは、八代将軍徳川吉宗の時代の享保7年(1722年)に、江戸幕府が小石川薬園内に設立した無料の貧民救済病院です。町医者小川笙船(おがわ・しょうせん)の目安箱への投書がきっかけで設立され、明治維新まで約140年間、薬園の植物から薬を調合したりして、貧しい病人を無料で治療する施設として機能しました。(日本医師会HPなどから補綴)


この町医者小川笙船は、山本周五郎の小説「赤ひげ診療譚」の主人公「赤ひげ先生」や、三船敏郎が演じた黒澤明監督の映画「赤ひげ」のモデルとして知られています。

植物園は、日本庭園としてもかなり整備されていました。何といっても、こんな都心のど真ん中にあって、緑が豊富で、お花も咲き乱れる広大な植物園はないことでしょう。
文京区の人は本当に恵まれています。えっ?しつこいですか?

実は、小石川養生所跡は、かなり探して、最後に見つけた場所でした(苦笑)。その前に、植物園の一番奥にある旧東京医学校本館(東大医学部の前身)などを見学したりしました。
私は、建築にも大変興味があるので、この重要文化財に巡り会えて幸せでした。

帰りは、地下鉄三田線の白山駅から帰りましたが、帰宅して万歩計を見てみたら、1万6668歩でした。
JR東日本の運賃が値上がったので、自宅から目的地まで、バスと電車と地下鉄で、Suicaを使っても往復1552円。入園料とランチ代を入れると合計3882円。個人消費としと、溜め込むことなく、景気循環のために、日本経済のGDPに貢献して来ました。


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