太田道灌が赤羽に建てた稲付城

稲付城跡 keiryusai.net 歴史
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 昨日は、都内の施設に入っている老母の面会の後、赤羽に立ち寄って、太田道灌が建てたという稲付城跡に行って来ました。現在は静勝寺(じょうしょうじ)という曹洞宗の寺院が建っています。

 赤羽は、「せんべろ」と呼ばれる安い居酒屋が沢山あり、我々も「赤羽会」と称して不定期に飲み会を開いたりする都内で最も親近感のある街の一つです。

 赤羽は、戦前は「軍都」と呼ばれ、帝国陸軍の弾薬庫や被服廠などがあったという歴史は知っておりました。東京12チャンネル(現テレビ東京)の社員番号1番だった桜井さんは、赤羽出身で、戦後間もない子どもの頃、戦車を沢山みたという話を聞いたことがあります。そんな軍事施設のあった赤羽台は戦後、大規模な団地が建てられ、私の高校時代の何人かの友人はこの赤羽団地で育ちました。亡くなった親友の神林康君もそうでした。

 そんな縁の深い赤羽なのですが、室町時代、太田道灌が居城を建てた所だとは、不勉強にして知りませんでした。先日見た「ブラタモリ」で初めて知り、城好きの私ですから、早速行ってみたのです。

 扇谷(おおぎがやつ)上杉氏の家宰だった太田道灌は、徳川家康より先んじて江戸城を建てた武将ということで知られていますが、この他、埼玉県の岩槻城も建てています(異説あり)。この岩槻城と江戸城の中間の赤羽にも太田道灌は城を建てていたわけです。稲付城は、荒川を見下ろす武蔵野大地の高台に築城しました。荒川を渡って来る敵陣を監視するのに最適だったからでしょう。

 荒川は、あの源義経が渡った、というぐらい、歴史のある有名な川です。

 稲付城跡については、私なんかの説明より、以下の看板の方が正確で詳しいので、ご参照ください。

稲付城跡 keiryusai.net
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 この城跡には、現在、曹洞宗の静勝寺が建てられています。「じょうしょうじ」なんて読めませんよね?開基は太田道灌ですが、「永生元年(1504年)、道灌の禅の師匠であった雲綱俊徳が、非業の死を遂げた名将の菩堤を弔うためにこの地に草庵を結び、道灌寺と名付けたのが起源」(静勝寺HP)です。

静勝寺 keiryusai.net
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 曹洞宗なので、御本尊様は釈迦如来坐像です。

静勝寺の釈迦三尊像(脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩) keiryusai.net
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 釈迦如来坐像は、写真では大きく見えますが、結構小さく、1メートルぐらいに見えました。

 隣接する「道灌堂」には太田道灌の木造坐像があるらしいのですが、「毎月26日に開扉される」と看板に書いてありました。

太田道灌坐像 keiryusai.net
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 静勝寺の境内は、都内ですから、驚くほど狭く、太田道灌の時代は「砦」と称したらしいので、この小山にあった稲付城は、人が恒常的に済むのではなく、見晴台と戦場用だったのではないかと思われます。恐らく、道灌の家臣らは高台の下に住んでいたのかもしれません。

静勝寺の白梅 keiryusai.net
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 城跡は何もないので、このように色々と想像するだけでも楽しいのです。

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