【忘れ得ぬ言葉】第9回 「忙しくて風邪をひく暇もありません」 島田雅彦氏

島田雅彦氏(出典 Wikimedia commons) 雑感
島田雅彦氏(出典 Wikimedia commons)

 島田雅彦氏(1961〜)は、毎日出版文化賞、読売文学賞などを受賞した今や大御所の大作家です。文才があり、「海燕」(福武書店)の名編集者寺田博氏に見出され、早くも学生時代からデビュー(「優しいサヨクのための嬉遊曲」)。若い頃、芥川賞候補として6度も落選したという「大記録」を樹立して、逆にその名を馳せた人物と書けば、恐らく、本人から怒られることでしょう。

 私も若い頃、この島田雅彦氏に容貌が似ている、と周囲から言われたことがあります(笑)。大学の同窓(後輩)ということもあって、一方的に近しく感じでおりました。1992年頃、文芸担当記者になってから、都内のホテルで開催される文壇パーティーでお会いして挨拶する程度でしたが、その後、一度、電話で原稿(随想)を依頼したことがありました。当時は「彼岸先生」が泉鏡花賞を受賞するなど売れっ子作家で、幾つもの連載原稿を抱えて大変忙しい時期でした。

 「ダメ元」で、少し先輩風を吹かして、「何かエッセイを書いてもらえませんか?」とお願いしたところ、返って来た言葉が、「ちょっと、立て込んでまして…。忙しくて、忙しくて…。風邪をひく暇もないほどです」でした。流石、小説家、上手いことを言うなあ、と感心したものです。

 原稿依頼を断ることは、作家さんにとっては死活問題であり、滅多に断られることはありません。しかし、身体は一つであり、いい加減なことは書けないというプライドもあります。また、「どうせ書くのなら、一流のメディアに書きたい」という本音があります。

 その一番顕著な作家は、ノーベル賞作家の大江健三郎氏でした。私も学生時代から彼の難解な作品を愛読し、尊敬しておりましたが、実際にお会いすると、抜け目のない商人のような印象がありました。彼が作品を発表する舞台は岩波書店や講談社など超大手の出版社に限られ、随筆は朝日新聞か、せめて大江健三郎氏に食い込んだ尾崎真利子記者(当時)の読売新聞など大手メディアばかりでした。

 「マスコミ大手最下位」と称された私の会社の看板ではとても太刀打ち出来ませんでした。

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