東京・王子 117年続く老舗居酒屋「山田屋」 昨年改装開店

東京・王子の大衆酒場「山田屋」題字は五代目大将の筆による keiryusai.net 雑感
東京・王子の大衆酒場「山田屋」題字は五代目大将の筆による keiryusai.net

 東京・王子は、江戸時代から栄えた市中から離れた郊外の有楽地でした。八代将軍吉宗が開いた桜の名所、飛鳥山があり、そこに近代になって日本資本主義の父、渋沢栄一が住んだりしました。また、歌川広重の「名所江戸百景」で、有名な「王子の狐火」が描かれたりしました。

 どういうわけか、私は、東京の中でもこの王子が好きな街で、少し御縁が出来て、今でも所用で通ったりしています。昨晩は、その所用の帰り、久し振りに、大衆居酒屋「山田屋」に行ってみました。もう15年近く前に、月に4~5回通った行きつけの店でした(笑)。まさに大衆酒場で、安いのが取り柄で、毎晩80人ぐらいの酔っ払いが管を巻く、失礼ながら、うるさくて汚い、タバコの煙に溢れた店でした。

 一度、ボトルキープしていた焼酎が、店側の怠慢で紛失され、何ら弁償もしないので、「こんな店、もう二度と来るか」と見限ったことがありました。

2024年、改装開店

 そしたら、新型コロナの真っ最中の2021年に閉店され、約3年もの長い期間を要して改築され、9階建てマンションの1階に昨年24年6月に再オープンしたのです。旧山田屋はホールのような大衆酒場でしたが、新山田屋は、面積がその半分ぐらいになり、40人ぐらいでいっぱいになる感じです。かつては注文取りと運び屋さんが4人ぐらいいましたが、今は1人でした。何と言っても、清潔感溢れる店になり、大声で管を巻くような客もいなくなった感じです。

創業明治41年

 昨晩、私が思い切って暖簾をくぐると、私以外の客が誰もいなく、私一人でした。拍子抜けしました。そこで、初めてお店の大将と話をしたら、この「山田屋」は創業は明治41年(1908年)で、今年で117年にもなる老舗だというので驚いてしまいました。もともと王子駅の近くに店はあったのですが、昭和20年の東京大空襲で焼失し、戦後、店に戻ったら、他人から敷地が縄張りされて追い出されたため、仕方なく現在の場所に移ったといいます。ちなみに、この山田屋の近くに美味しいパン屋さん「明治堂」がありますが、ここは創業1889年、明治22年という老舗です。

 山田屋は、創業117年といいますから、現在の大将は五代目だというのです。凄いですね。いわゆるゴマ塩頭なので、60歳ぐらいに見えましたが、どうも話が嚙み合いません。王子には、戦前、東京第一陸軍造兵廠があった所に、現在、自衛隊の十条駐屯地がありますが、ベトナム戦争の際に、米軍の負傷兵がここに運ばれて来たという噂を聞いたことがあります。そこで、山田屋の大将に確かめてみたら、大将さんは「えっ?そんなことあったんですか?ベトナム戦争?」と言うではありませんか。

 そこで、私は「ベトナム戦争知らないんですか」と驚いて聞き返しました。すると大将は「私は、1984年生まれですから、教科書で習ったぐらいですよ」と言うではありませんか。あらま、五代目の大将さんは60歳ぐらいだと思っていたら、まだ41歳の若さでした。失礼しました。こっちが単に馬齢を重ねていただけでした。ちなみに四代目は昭和22年生まれらしく、団塊世代です。五代目は団塊ジュニアということになります。

 五代目大将は「15年前も私は店に出てましたが、もう昔のお客さんは結構亡くなってしまってます。もしくは、高齢になって、内臓とか身体があちこち悪くなり、夜に呑みに来れなくなった人ばかりですよ」と言うのです。幸い、最近は若い新しいお客さんも来るようになったそうですが、あの昔の山田屋の喧騒は何処へ行った、といったという感じでした。

 最初は客は私一人でしたので、気兼ねなく話を続けていたのですが、2人、そして3人とお客さんが入って来ました。そろそろお勘定です。おつまみに牛煮込み、豆腐サラダ、アジフライ、ししゃも焼などを頼み、秋田の銘酒「八重寿」が美味しくて、ちょっと呑み過ぎてしまいました。

 近くにある居酒屋「宝泉」とは違って、「山田屋」はテレビの取材は断っているらしく、ネット上にはどこにも正確に書かれていませんが、「山田屋」は今年創業117年目で、現在の大将さんは五代目でした。これからも長く続いてほしいと思いました。

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