8月5日、火曜日。涼しい「山小屋」で快眠できました。朝食は、これまたS氏お手製です。S氏はここ何十年も「玄米」しか食べていないといいます。私も久し振りに玄米食の御相伴に預かりました。

私は、この別荘に来る際、電車の中で、NHK大河ドラマ「べらぼう」の主人公になっている蔦屋重三郎関係の本を読んでいたのですが、蔦重は47歳の若さで脚気で亡くなっています。脚気はビタミンB1不足から起こるらしいのですが、S氏は「蔦重が玄米を食べていたら、脚気なんかならなかったと思います。蔦重は吉原の人ですから、恐らく、白米を食べていたんじゃないでしょうか」と言うのです。へ~、なるほどと思いました。S氏は既に後期高齢者ですが、玄米のお蔭で、健康そのものでした。しかも、若い頃、山岳部で鍛えていますから、私より歩くのが速い!
残念!「三島由紀夫文学館」は休館
この日は、山中湖周辺の観光地に連れて行ってもらいました。最初に「三島由紀夫文学館」と併設する徳富蘇峰の「ふれあい館」に行きました。そしたら、何と、4日(月)と5日(火)は休館でした。中に入れず残念! 行った証拠として写真を撮ってくることしか出来ませんでした。


仕方がないので、近くに俳人富安風生(1885~1979年)の別荘があったところを、資料館「風生庵」として無料公開されていたので、そこに行ってみました。富安風生は、東京帝大俳句会結成に加わり、高浜虚子に師事し、俳誌「若葉」を主宰、日本芸術院賞を受賞した俳人ですが、私は短詩型は苦手ですので、こんな凄い俳人がいたとは初めて知りました。

次に向かったのは遊覧船乗り場です。せっかく山中湖まで来たのですから、観光客気分で「遊覧船にでも乗りたい」という私のたっての希望でした。

山中湖遊覧船「白鳥の湖」(1100円)の乗り場は長蛇の列でした。恐らく、半数以上は中国からの観光客でした。乗り場付近では、「餌付け」された白鳥と鯉が、餌を求めて沢山集まっていました。特に、鯉はこれまで見たことがないほど大きく太っていました。
遊覧船内から見える富士山も、やはり、山頂付近に雲が掛かっていて、とても富士山らしい写真が撮れませんでした。そこで、S氏は、富士山の写真が撮れる「マシ」なところを色々と移動してくれました。
忍野八海
やっと、マシな写真が撮れた場所は、世界遺産にもなっている湧水池「忍野八海」です。山中湖村から忍野八海まで北北西約7キロ離れたところにあります。

ここから見える富士山は、かろうじで山頂付近に雲がかからず、やっと富士山らしき写真を撮ることが出来ました。

忍野八海には、名前の通り、忍野(地名)という所に、八つの湧水池があり、絶好の観光資源になっています。そのせいか、平日でも大型観光バスで外国人観光客が多数押し寄せてくるので、日本人はとても近付けない状態でした。

忍野浅間神社
猛暑の中、この後、向かったのは、忍野浅間神社です。私は、信仰心が篤いので、健康と旅の安全を祈願して地元の神さまに御挨拶しました。

冨士浅間神社
8月6日(水)
もう帰宅する日です。S氏は、私を富士急行の「富士山」駅まで愛車で送ってくれましたが、途中にある「北口本宮 冨士浅間神社」にお参りすることにしました。

ここは広大で荘厳な神社でした。創建は、浅間大神と日本武尊をお祀りした景行天皇50年(120年)といいますから、1900年以上の歴史があります。
平和になった江戸時代には「富士講」といって、庶民の間にも富士山参りがブームとなり、御師の導きで、登山の前にこの冨士浅間神社に必ず立ち寄ったといわれています。
私は富士山には一度も登ったことがなく、恐らく一生登らずに生涯を終えることでしょうが、日本人の一人として、富士山には畏敬の念を抱いております。ですから、美しい富士山の姿を拝見するだけで満足してしまいます。
帰りの電車の乗車まで少し時間があったので、富士山駅ビル6階の展望台に行きました。そこから見える富士山は、やはり山頂付近に雲がモクモクと掛かっておりましたが、その雄大な姿に見とれてしまいました。
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