娘が気を遣って、私の誕生日プレゼントに宮崎産マンゴーを送ってくれました。私の誕生日はもう10日も前なのに「あれっ?」です。
高価なマンゴーをプレゼント
娘一家は目下、夏休みということで、娘婿の実家の宮崎県に帰省しています。その際、宮崎市内の市場でマンゴーを購入して空輸してくれたのでした。
宅急便を開けてみたら、たった二つしか入っていなかったので、また「あれっ?」です。そしたら、家人が「何言ってるのよ! マンゴー一つ、幾らすると思ってるのよぉ~? 一つ、3800円とか5000円とかするのよぉ~!」と怒気を含んで放言するのです。
えっ⁉ そんなに高いの⁉
通販のサイトで調べてみたら、その通りでした。2個だと1万円近くしたことでしょう。嗚呼、子育てにお金が掛かるというのに、そこまでしなくて良かったのに…。申し訳ないと思いました。
宮崎の名産はマンゴー、チキン南蛮…
宮崎県は確かに美味しいものに恵まれています。マンゴーなどのフルーツを筆頭に、宮崎牛、チキン南蛮、唐揚げは全国的にも有名です。以前、そのまんま東さんが宮崎県知事だった頃、結構有名になりました。
宮崎と言えば、南国のイメージでフェニックス(ヤシの木)が有名です。市内に国際的にも有名なゴルフのフェニックス・カントリークラブもあります。私もかつてゴルフ担当記者だった40年前(笑)、公式戦「ダンロップ・ゴルフ」を取材した際、「役得」でこのゴルフ場でプレーしたことがありますが、平坦なコースで視界良好で、最高のゴルフ場でした。
また、宮崎は特に昭和30年代から50年代初めにかけて、新婚旅行のメッカになりました。温暖な気候なので、読売ジャイアンツなどプロ野球の春のキャンプ地となり、今でも多くの観光客を呼んでいます。
フェニックスは宮崎に自生していなかった?
私は、宮崎は、自然に恵まれた良い土地だなあ、という認識しかありませんでしたが、先日NHKで放送された「知恵泉」という番組を見て吃驚しました。フェニックスはもともと宮崎に自生していたわけではなく、日南海岸に1本1本、植林して、わざわざ「南国のイメージ」を醸し出して、観光客の誘致を演出していたというのです。それは、たった一人の男が始めたというのです。
その人は、宮崎県人なら知らない人はいないという偉人で、岩切章太郎(1893~1985年)という人物です。私は全く知りませんでしたが、宮崎交通の創業者で、「宮崎観光の父」と呼ばれています。宮崎市の呉服商の長男として生まれ、旧制宮崎中を首席で卒業して東京の第一高等学校に進学し、東京帝大を卒業した超エリートです。卒業後、住友総本店に入社しますが、4年後の1924年に退社して宮崎に帰郷し、故郷で事業を起こします。岩切が目を付けたのが観光事業で、当時としては珍しかったガイドさん付きの観光バスを走らせたり、豪華ホテルを建設したりします。その際に、何もなかった日南海岸にフェニックスを植林したり、「花の県」をイメージとして売り出し、ブーゲンビリアを中心にした植物公園やさぼてん公園、子どもの遊園地まで作ったりしていたのです。
そう言えば、私が子どもだった頃、日南海岸は切手に採用されていました。
日本史は戦国時代の武将で成り立っていない
こんな凄い人がいたとは知りませんでしたね。日本史は、戦国時代の武将で成り立っているわけではありません(笑)。こうした歴史に埋もれた偉人にスポットライトを当てることは大切です。やはり、「虎は死して皮を残し、人は名を残す」です。最終的には社会貢献の貢献度が高い人物ほど後世に名を残すということでしょうが、こうした地域の観光という狭い世界の話でも、岩切章太郎という人物を忘れてはならないと思いました。
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