昨晩(6月21日)は、東京・新宿の居酒屋「安具楽」で、海城高校1975年卒の目良先生を囲んだ同窓会に参加して来ました。卒業して今年でちょうど50年、半世紀ですよ!
海軍予備校が前身
海城高校は明治24年(1891年)、佐賀藩士で元海軍少佐だった古賀喜三郎が創立した海軍予備校が前身です。海軍のエリートを養成する海軍兵学校への受験校でした。「明治14年の政変」で、「薩長土肥」の一角だった佐賀藩の大隈重信が下野し、土佐藩の板垣退助が自由民権運動に走り、薩摩と長州だけの藩閥政権になりました。佐賀藩士だった大隈と古賀らは薩長政権に対峙して教育機関に進出したといいます。(言うまでもなく、大隈は東京専門学校、後の早稲田大学創立者です。)この古賀喜三郎の曾孫に当たるのが、評論家の江藤淳で、彼は晩年、海城学園の理事長を務めたことがあります。
海城は、海軍予備校でしたから、今でも男子校です。海兵受験校から、今では全国でも10位前後に入る東大受験校に様変わりしました。
50年前のクラスメートは48人おりましたが、既に、神林君、田中君、土屋君、北川君の4人が他界しました。また、何人かが病気療養中で、今回参加したくても参加できない人もいました。ですから、今回、目良先生始め、15人参加しましたが、何らかの病気を抱えていても、一応、電車に乗って参加できる身体を保っているということで、いわば奇跡のような会合でした。
井上君が初参加
今回、井上君が初めて参加しました。卒業以来半世紀ぶりの再会ですから、「お前、誰っ?」てな感じでした(笑)。井上君は、大学卒業後、同級生の室川君の影響で郵便局に就職し、定年まで勤めたそうです。両親の介護で10年以上、付きっ切りで大変だったようでした。何しろ、目を離すと大声を出しながら徘徊してしまうというので、外出も儘ならなかったといいます。
もう皆んな、年も年ですから、定年退職して悠々自適ではなく、辛うじて細々と生きている連中ばかりでしたが、ミュージシャン(アコーディオン)の佐藤君、薬剤師の平田君、学校教員補助の水口君、母校教師を経て画家になった細川君らは現役として活動していました。今回も、小島君が青森県から、林君が北海道から、この同窓会のためにわざわざ駆けつけてくれました。北大を卒業して歯科医になった林君だけは、まさに悠々自適で、高級外車を乗り回し、3カ月間も豪華客船で奥さんと一緒にクルージングを楽しんだ話をしておりました。
担任だった目良先生も齢80歳を超えて、御本人も「あと何年、参加できるか分からない…」と仰っていたので、出来るだけ長く続いたらいいなあ、と思いました。「俺、お前」と呼び捨て出来る仲間は世の中にそういませんからね。
今回、幹事を務めた岸君には「来年の幹事を誰にするか内定してますか?」と、事前に私が気を遣ってメールしたのに返事がありませんでした。随分、冷淡で無礼な奴だと思ったら、「あ、悪かった」の一言です。でも、会合の席で、彼は「もし、来年の幹事に立候補する人がいなければ、来年も僕がやりますよ」と宣言していました。見直しました。
会合での挨拶で、皆、自分の「病気自慢」ばかりしていましたが、これで来年も同窓会が開催される「舞台」だけは揃ったので、まずは一安心。久しぶりに嵌めを外して痛飲してしまいました。

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