世田谷高級住宅街のカフェバーで講演して来ました

豪徳寺本堂 keiryusai.net 雑感
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 5月18日(日)、東京・世田谷区の高級住宅街にあるカフェバー「キットワー」というお店で、ミニ講演会の講師を頼まれ、馳せ参じて来ました。このお店は、小田急線の豪徳寺駅と経堂駅のほぼ中間にあり、隠れ家的存在なので知る人ぞ知るお店です。普通の人でしたら、通り過ぎてしまうことでしょう。それでも、長年続いているのは、常連客といいますか、馴染みの固定客がついているせいかもしれません。毎月、定期的にワイン会を開いたり、こうしたミニ講演会を不定期に開催したりしているようです。

結束が固い慶應閥

 店主であるママの田邊さんは、学芸大附属世田谷小中から慶応義塾で学んだインテリさんで、その関係からか、常連客も慶應出身の方ばかりでした。今回は、私の大学と元会社の先輩である土山さんからの推薦で講師役を引き受けることにしたのですが、土山氏も慶應普通部から慶大経済学部に進学しながら、途中で東京外国大学仏語科に入り直した人でした。やはり、慶應閥の結束というものは異様に固いですね。

 私の講演の演題は「芸能界と裏社会」というものでしたので、内容について、さすがにこのブログでは書けませんので、悪しからず。ただ、芸能界も、裏社会についても、参集してくださった15人のほとんどの方が興味があるのか、非常に熱心に聴いて下さり、何本も質問が出ました。中には、かつて金属加工会社に勤務していたAさんが、裏社会の人から、金Goldでつくった耳かき150本も注文を受けたりした逸話を披露してくれました。この「耳かき」は何に使われるのかは、茲では書けないので、ご想像にお任せします(苦笑)。その後、Aさんは、その裏社会の方とは昵懇になり、自宅に招待されて行ってみると、家には国宝級の有名美術品が何点も飾ってあったそうです。ま、話はこれぐらいにしておきましょう(笑)。

外国人の多さに吃驚

 責任重大の講師役を頼まれましたので、遅刻しては拙いと思い、早めに自宅を出ました。事前に豪徳寺駅近辺の観光目的もあったからでした。

豪徳寺 keiryusai.net
豪徳寺三門 keiryusai.net

 まず、小田急線の豪徳寺駅改札を出て歩くと、外国人の異様な多さにすぐ気が付きました。すれ違う人の10人に7人ぐらいも外国人なのです。「えっ!? こんなに住んでるの?」と吃驚仰天しましたが、後で分かりましたが、彼らはほぼ全員、観光客で、目的は豪徳寺の「招き猫」を見に行くことでした。インスタ映えするのか、世界的にSNSで評判になっているようで、本当に驚くほど外国人の数が多いのです。

豪徳寺の招き猫 keiryusai.net
豪徳寺の招き猫 keiryusai.net

 白人が多いのですが、どういうわけか、ほとんど英語が聞こえて来ません。これでも、私は外国語を専門的に勉強して来た人間ですが、何語かさえ、さっぱり聞き取れないのです。フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語なら大体、内容はともかく、その言語であることは分かりますが、彼らが話す言語は、それらとは違います。もしかしたら、デンマーク語か、ポーランド語か、チェコ語か、ルーマニア語か、セルビア語か、クロアチア語か、リトアニア語か、失礼ながらマイナー言語であることは確かです。金髪の女性は、フィンランド語かノルウェー語かな、と思いながら、耳をそばだてたりしましたが、浅草でも銀座でも、東京の名所でもない豪徳寺にこれほど多くの観光客が押し寄せるとは、驚くほかありませんでした。

井伊直弼のお墓参り

 私が豪徳寺をお参りしたかったのは、井伊直弼のお墓参りをしたかったからでした。豪徳寺は井伊家の菩提寺です。

豪徳寺 keiryusai.net
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 しかし、当然のことながら、外国人観光客は、猫ちゃんには興味があっても、徳川四天王の一人である井伊直政も、井伊直弼が暗殺された「桜田門外の変」も知らないか、興味もないことでしょうから、一人もお墓参りする方はおりませんでした。

旧尾崎テオドラ邸には幻滅

 豪徳寺の前に立ち寄ったのは、旧尾崎テオドラ邸でした。「憲政の神様」と呼ばれた尾崎行雄が再婚した妻テオドラ英子の父尾崎三良男爵が建てた旧宅を赤坂からこの豪徳寺に移転した洋風建築です。尾崎行雄は、東京市長も務め、米ワシントンDCに桜を贈ったことでも知られます。この洋館は2020年に取り壊される予定でしたが、近隣住民と有志らによる運動で買い取って保存されることになりました。そんなニュースを聞いていたので、一度は訪れてみたいと思ったのでした。

旧尾崎テオドラ邸(世田谷区豪徳寺) keiryusai.net
旧尾崎テオドラ邸(世田谷区豪徳寺) keiryusai.net

 そしたら、当日の入場料が1500円という異様な高さには驚かされました。東京・荻窪の「荻外荘」は300円でしたからね。しかも、それだけの価値があれば納得できますが、尾崎行雄らのパネル写真や説明はほんのわずかでした。ワシントンの桜の話はありませんでした。2階に行くと、個人的には全く興味がない漫画やアニメばかり展示されていました。「やられた!」と思わず呻いてしまいました。後から、講演会の主宰者の田邊さんに伺ったら、「あの土地と建物を購入したのは、漫画家さんですから」と教えてくれました。「なあんだ、最初から事前に下調べしておけばよかった」と後悔しました。

世田谷城主は吉良氏

 豪徳寺をお参りした後、まだまだ時間的に余裕があったので、「世田谷城跡」に行って来ました。私は城好きですから、何でも、何処でもいいのです(笑)。

 看板には「世田谷城は、清和源氏、足利氏の一族である吉良氏の居城として知られ、貞治5年(1366年)に築城されたといわれますが、定かではありません」などと書かれていました。

世田谷城跡 keiryuusai.net
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 吉良氏は名門中の名門で、歴史上最も有名な人物は、忠臣蔵の吉良上野介かもしれません。この吉良上野介の御先祖様を辿っていけば、この世田谷城主ということになるわけです。何か、感慨深いものがありました。

世田谷城跡 keiryuusai.net
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