「嗚呼、ついにこの日が来たかあ…」といった感慨に耽りました。2025年4月14日付朝日新聞夕刊の3面を見てみたら、「山と人と信州と」いう新連載記事が始まっていましたが、そこには朝日新聞記者ではなく、「信濃毎日新聞編集委員 藤森秀彦」の署名がありました。えっ?どういうこと?
「山と人と信州と」の連載記事なら、書くなら地元信州人がいいよね。何と言っても土地勘がありますから…なんて、言っている場合ではありません。天下の朝日新聞社のことですから、信州長野県には松本市にも上田市にも諏訪市にも他に何カ所も支局があるはずですし、100人近い記者や通信員を抱えているはずです。別に、記事は地元の人しか書けないわけがありません。裁判の素人だろうが、野球のルールを知らないだろうが、記者になれば、涙を流しながら、しっかり取材して記事を書かざるを得ないじゃありませんか。
朝日新聞社と信濃毎日新聞社は新聞印刷と記事提供で今春から連携する契約を結んだので、この新連載の記事は、その契約の一環ということなのでしょう。しかし、自分の所の紙面を他社に任せてしまうということは、戦国時代で言えば、「城を明け渡す」ということに他なりません。
気骨のある記者がいなくなった?
気骨のある記者だったら、絶対に反対していたはずです。逆に言えば、天下の朝日新聞でさえも、反対する、つまり、「そんな連載記事なら俺(わたし)が書くよ」という気骨のある記者がいなくなったということなのでしょう。
若者の活字離れ、新聞離れが言われてもう久しいですが、貧すれば何とかで、紙面を見れば、もう老人向けのつくりです。その証拠に広告に目を向けてみると、補聴器の宣伝だったり、入れ歯洗浄機の宣伝だったり、スッポン・ドリンクの宣伝だったりします。つまり、溌剌とした若者や中年向けの広告が集まらない、ということなのでしょう。そう言えば、最近は新聞に求人広告でさえも滅多に載らなくなりました。みんな、みんな、ネット広告に取って代わられてしまったのでしょう。
新聞の役割が終わったわけではなく、これから何十年も何百年も続くはずだと、私自身は個人的に思っていましたが、このままでは修正しなければならないかもしれません。販売部数低迷、広告収入激減から、低収入と取材費削減といった悪循環にハマり、優秀な人材確保が難しくなっていくからです。
朝日新聞は1936年の「二・二六事件」の際に襲撃された新聞社ですが(栗原安秀中尉と中橋基明中尉が、朝日の緒方竹虎主筆と対峙)、「2025年4月14日は、朝日新聞の黄昏の日。これが証拠紙面だ」なんて未来の歴史家に言われたくないですねえ。
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