350勝投手、米田哲也さんの万引き逮捕で思うこと

阪急・米田哲也投手(1956年入団)Wikimedia 雑感
阪急・米田哲也投手(1956年入団)Wikimedia

 最近、気になった記事がありました。プロ野球歴代2位の「350勝」投手、米田哲也さんがスーパーで缶酎ハイを万引きして捕まったという記事です。缶酎ハイの代金は、わずか303円だったということで、それなりの年俸を稼いでいた歴史に残る大投手に何があったのか? 驚いてしまったのです。

 新聞のベタ記事だけでは詳しいことが分からなかったので、わざわざ「週刊新潮」を買いましたよ。最近、週刊誌も売れなくなったということで、新潮社に勤めるY君への「ご協力」の意味もあります(笑)。

家賃滞納、万引き今年3回目

 そしたら、よく分かりました。「缶酎ハイ万引きで逮捕 米田哲也(87)が陥った極貧生活」の記事のサブ見出しの「▶10年間家賃滞納▶万引きは今年3回目▶名球会のメンバーに金を無心」だけで、大体の内容が分かると思います。

 米田投手は阪急ブレーブス(現オリックス)などで活躍し、現役22年間の350勝は、金田正一(国鉄~巨人)の400勝に次ぐ歴代2位の大記録です(3位は阪神、ロッテなどで活躍した小山正明の320勝)。記事では、最盛期だった1969年の年俸が1500万円で、当時の大卒の初任給は約3万円だったということが書かれていました。これを現在の値段に換算しますと、今年の大卒初任給は平均24万円だということから、1億2000万円ぐらいということになります。米田氏の生涯年俸は分かりませんが、かなりの大金を稼いでいたはずです。

 週刊新潮はかなり詳細に取材しており、米田氏の金離れの良さというより、金遣いの荒さが書かれていました。試合で東京遠征する際、チームは平均的な宿に泊まっていましたが、登板前日の彼は自腹を切って帝国ホテルに泊まり、ビーフステーキを食べていたという逸話がありました。高級住宅街で知られる芦屋市に高級マンションを保有していましたが、最終的には手放し、ここ10年以上は家賃5万円の間取り2DKのアパートに奥さんと暮らし、その5万円の家賃でさえ10年間滞納していたといいます。バブルの頃に西宮市にスナック、というより女性が6、7人いるラウンジを経営していましたが失敗し、これで大半の資産を失ったとみられます。

有名人は苦労人が多い?

 彼は、友人知人や名球会のメンバーにまで借金を重ねていたらしく、挙句の果てには万引きで逮捕ですか…。かつての子どもたちのヒーローも形無しです。堅実で計算高くなく、豪放磊落な性格だったからこそ、350勝の大投手になれたのかもしれませんが、はっきり言って晩節を汚したといいますか、悲し過ぎる晩年です。かつての有名な大投手の未来がこうなってしまうとは、本人も含めて誰も想像できなかったことでしょう。米田氏に限らず、有名人ともなると、人が羨む華やかで優雅な暮らしをして一生幸せな人生を送ると思われがちですが、実は、そうでもないんですよね。私も取材で多くの有名人と会って来ましたが、苦労人が多かったでした。大金が入れば、それだけ同じ分、出費も増えるので、普通の人と大して変わらないかもしれません。

 人間って、実に不思議な動物です。

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