国宝・重文美術に圧倒されました 相国寺展

「相国寺展」=東京芸大美術館 雑感
「相国寺展」=東京芸大美術館

  小雨が降り、気温9度と花冷えする中、東京・上野の東京芸大美術館で開催中の「相国寺展」(前売1800円、5月25日まで)に行って参りました。日本国憲法第25条で、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と保障されていますからね。特に、美術鑑賞なんか、昔は公家貴族か大名、もしくは裕福な町人しか出来ませんでした。そもそも、庶民には健康で文化的な生活を営む権利なんか保障されていませんでした。上に立つ特権階級は下層階級を搾取し、その余りで文化を造成、育成していったと言っても過言ではないでしょう。格差なんてもんじゃありません。格差が増大し、富の蓄積があればあるほど文化の華が開くというものです。それは大英博物館やベルサイユ宮殿などを見れば分かるでしょう。

宗教と芸術との関係

 さて、何でこんな小賢しいことから始めたのかと言いますと、この展覧会を見て、宗教と美術・芸術との密接な関係に新たに目を見開かされたからです。西洋では、キリスト教会と美術は切っても切り離せないことは現地を訪れなくとも前から分かっていましたが、日本でもそうだったことを再認識させられたのです。

 というのは、京都の名刹相国寺は、日本の「国宝級絵師」である雪舟や円山応挙や狩野探幽や伊藤若冲らが修行したり、在住したりし、相国寺もパトロンになって彼らに襖絵などを依頼したりしていた関係があったからです。現在、国宝になっている絵画は臨済宗相国寺が経済的にもプロデュースして出来上がっていたわけです。相国寺がなければ、「四季山水図巻」も「動植綵絵」もこの世に存在しなかったかもしれないのです。「相国寺がなくても、他の寺院がパトロンになっていたんじゃない?」と、屁理屈を言われなければですが(苦笑)。いずれにしても、日本も宗教と芸術は密接に繋がっていたのでした。

相国寺とは何か?

 いくら京都五山第二位の相国寺がとてつもない古刹だと言っても、時の権力者による庇護がなければ直ぐ廃寺となってしまいます。でも相国寺は特別な寺で室町幕府の三代将軍足利義満が建立したので別格になるはずです。展覧会の概要などから換骨奪胎で引用させてもらうと、相国寺とは何か? 以下の通りです。

 相国寺は、室町幕府三代将軍足利義満(1358~1408)が永徳2年(1382)に発願し、京五山禅林の最大門派であった夢窓派の祖・夢窓疎石(1275~1351)を勧請開山に迎え、その高弟春屋妙葩(しゅんおく・みょうは、1311~1388)を実質的な開山とし、明徳3年(1392年)に創建(完成)された禅宗の古刹です。京都御所の北側にその大寺の姿を誇り、応永6年(1399年)には高さ109メートルの七層大塔が完成しましたが、焼失し再建されませんでした。この他、北山に金閣寺(鹿苑寺)、東山に銀閣寺(慈照寺)まで擁する臨済宗相国寺派の大本山です。

 創建から640年余りの歴史を持つ相国寺は、時代を通じ、数々の芸術家を育て、名作の誕生を導いてきました。室町幕府の御用絵師とされる相国寺の画僧如拙(国宝「瓢鮎図」で知られる)と周文。室町水墨画の巨匠と称される雪舟。 江戸時代の相国寺文化に深く関わった狩野探幽。そして、奇想の画家・伊藤若冲、原在中、円山応挙らがその代表です。             「相国寺」HP、「相国寺展 概要」などから

承天閣美術館開館40周年記念

 相国寺は中国(明)から、禅僧を招聘しただけでなく、仏典は勿論のこと、明のさまざまな美術品や茶道具なども輸入し、それらが現在、国宝級の宝物になっています。そこで、相国寺は創建600年に当たる1984年(正確には開山した春屋妙葩が入寺した1384年から600年かな?)、境内に承天閣美術館を建設し、一般に公開するようになりました。昨年はその美術館の開館40周年で、それを記念して、名古屋と東京で展覧会を開催する運びになったわけです。

 今展では、国宝・重文が40件以上も展示されていましたから、さすがにお腹いっぱいになりました(精神的にですよ)。西洋画の展覧会ではたまにそういうことがありましたが、日本画では初めてでした。知らない事ばかりで、それで解説文を読むのに疲れてしまったからかもしれません(笑)。

西笑承兌と梅荘顕常のこと

 例えば、京都は内乱で多くの寺院が焼失しましたが、相国寺も内部からの失火で2回、兵火で2回全焼しました。その後、天正12年(1584)に、本格的な復興を遂げた高僧に相国寺第92世西笑承兌(1548~1608年)がおります。「さいしょう・じょうたい」と読みます。私はこの展覧会で初めて認識しました。この仏僧の頂相(ちんそう=肖像画)もありましたが、柔和な顔立ちながらなかなかの切れ者だった片鱗が見え隠れします。何しろ、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と対峙したり、側近になったりした高僧ですから傑物です。芸術家を庇護したことは勿論のこと、政治にも関わり、幕府からの要請で彼が書いた「異国通船朱印状」まで展示されていました。かつては学問をして字が書けて、幅広い文化的教養があったのは、武士以上に仏僧だったことを再認識しました。

また、江戸中後期の伊藤若冲(1716〜1800年)を支援したのは、相国寺113世住持の梅荘顕常(ばいそう・けんじょう=1719〜1801年)だったこともこの展覧会で初めて知りました。勉強になりました。

上野公園の桜
上野公園の桜

ランチは600円

 展覧会会場を出た頃、またちょうど昼時でしたので、ランチをどうしようかと美術館付属のレストランのメニューを覗いたところ、カレーライスが何と2500円もするのです。「え~~~」ですよ。よくよく見るとそのレストランはホテルオークラが経営していました。高いはずです(笑)。そこで、外を見たら、東京芸大の学食らしきものがあったので、「そこなら安いだろう」と思って、「一般人でも入れますか?」と許可を得て入ってみました。そしたら、そこは学食ではなく、休憩所みたいなところで、お弁当だけ売っておりました。本日の弁当(桜肉とコロッケ)600円でしたので、それにしました。

 まさかですが、もし、皆さんが私と同じ庶民でしたら、ここの日替わり弁当をお勧めします(笑)。お茶も無料で飲めました。お弁当は冷えていて、賞味期限はその日の午後3時まででした(私が帰る頃は完売)。よく見たら、電子レンジがあったので、後で「チンして食べればよかった」と思いました。皆さんは、お弁当は温めてくださいね~。

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