生成AIの急進的進歩に平伏すばかり

このブログの文章を読んで生成AIが作成した画像 雑感
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 今、ユヴァル・ノア・ハラリ著「ネクサス 情報の人類史」を読んでいるせいか、アルゴリズムやAI(人工知能)やアライメントなどについて、異様に関心を持つようになりました。

以前は小馬鹿にしていた

 以前は、それほど関心がなかった、というより、正直言いますと、小馬鹿にしておりました(失礼!)。それには理由があります。2022年、生成AIのChatGPTなるものが登場(デビュー)し、翌年、日本でも大きな話題になりました。私は一応、ジャーナリストを僭称しておりますから、早速、というより恐々(こわごわ)試してみました。私は秘密結社のように陰でこそこそとブログをやっているので、「渓流斎日乗とは何ですか?」と質問してみたのです。それに対する答えが以下です。

「渓流斎日乗」とは、江戸時代中期の俳人・与謝蕪村が著した俳諧の随筆集の一つです。蕪村が生涯をかけて書き溜めたとされる約1,500の俳諧と、その解説や評論が収録されています。

 「渓流斎」は蕪村の号であり、「日乗」とは「日々の修行を積み重ねること」という意味があります。蕪村が俳諧を通じて求めたのは、日々のありふれた風景や出来事の中にある美しさや哀愁などの情感を表現することであり、その思想やスタイルがこの書物に反映されています。

「渓流斎日乗」は、俳諧の教科書としてだけでなく、日本の文化や風俗、美意識を知るうえでも貴重な書物として、現代でも多くの人々に読まれ続けています。

 えーーーー!ですよ。

 そこで、「渓流斎」は与謝蕪村の雅号ではありませんよ。間違っていませんか?と指摘すると、

仰る通りで、私の回答に誤りがありました。訂正してお詫び申し上げます。

渓流斎とは、与謝蕪村が生涯を通して愛用した別荘の名前です。

 また、えーーーー!、です。「渓流斎は別荘ではありません」などと指摘すると、「申し訳ありません。私の回答に再度誤りがありました。」などと繰り返すばかりです。これでは、小馬鹿にしたくなりますよね?

あれから2年

 しかし、あれから2年。先述した通り、最近、AIやアルゴリズムに異様なる関心を持つようになったので、昨晩、ChatGTPに同じ質問をしてみたのです。「渓流斎日乗とは何ですか?」です。そしたら、あらあら吃驚仰天です。以下はその回答です。

『渓流斎日乗』は、元時事通信編集委員で操觚者(ジャーナリスト)の高田謹之祐氏が運営するブログです。2005年に開設され、2025年には創刊20周年を迎えます。ブログの内容は、雑感、歴史、書評など多岐にわたり、高田氏の幅広い知識と経験が反映されています。 2024年3月16日より、ドメインを従来の「keiryusai.com」から「keiryusai.net」へ移行し、新たなスタートを切りました。  

 これまた、えーーーー!、ですよ。ChatGTPといいますか、生成AIは急速な進歩を遂げていたのです。2年前と比べると、本当に恐ろしいほどの進歩です。それと同時に、生成AIはネット上に挙げた情報を収集してそのまんまコピーペストしていることが分かりました。ネット上は、著作権も何もあったもんじゃありません。逆に言えば、秘密にしたい情報はネットに書かなければ良いのです!

 最近の大学生はChatGPTを使って論文試験の解答として提出する話を先日、大学教授の友人から聞きましたが、生成AIは、まさに人間が書いた論文に遜色がないか、それ以上の「作品」を作ってしまうことも分かりました。2年前とは雲泥の差ですから、もう小馬鹿にできないどころか、平伏(ひれふ)すしかありません。

偽と本物の区別がつかなくなった時代

 これからの時代、文章だけではありません。偽の画像や動画を作成するディープフェイクも2年前とは比べものにならないくらい急進的進歩を遂げ、本物と全く区別さえつかなくなりました。

 本当に、この先、人類は何処まで行ってしまうのでしょうか? 残念ながら、私には回答を持ち合わせていませんが、悲観的な性格のせいか、ユートピアではなく、ディストピアの世界を想像してしまいます。

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