「ベテラン自然科学者から現デジタル社会の冷徹な解析法を学ぶ」 第64回諜報研究会

第64回諜報研究会 雑感
第64回諜報研究会

  第64回諜報研究会が3月22日(土)、東京・早稲田大学で開催され、私もいそいそと参加しました。研究会開催は随分久しぶりで、指折り数えたら3ヵ月ぶりでしたが、会場での参加者はわずか7人、そのほとんどがNPO法人インテリジェンス研究所の理事ら関係者ばかりで寂しい限りでした。共通テーマが「ベテラン自然科学者から現デジタル社会の冷徹な解析法を学ぶ」という難しそうな理系の題材でしたので、参加を控えた方が多かったのではないかと邪推してしまいました。

「からだへの負担が少ないがん手術とは」

 例によって2人の講師の方が登壇しました。最初の報告者はNPO法人インテリジェンス研究所理事の河野通之氏で、演題は「からだへの負担が少ないがん手術とは」でした。えっ? がん手術と諜報と何の関係があるの? と正直思ってしまいましたが、テクノインテリジェンスの部門で関係があったようでした。NPO法人インテリジェンス研究所のホームページには、テクノインテリジェンスのコーナーがあり、河野氏はこの部門の記事をかなり執筆されていますので、ご興味のある方はご参照ください。

第64回諜報研究会「からだへの負担が少ないがん手術とは」
第64回諜報研究会「からだへの負担が少ないがん手術とは」

 GHQによる日本占領期に出版された新聞、雑誌、書籍などを収集したプランゲ文庫(米メリーランド大学)は約300万件もありますが、そのうち、テクノインテリジェンスが占める割合は約20%もあり、手術に関する記事は約3000件も掲載されているといいます。

 河野氏は、過去に「手術支援ロボット用3Dモニター」の開発に参加した技術者でした。ロボットによる内視鏡外科手術で使われるモニターのディスプレーとして、3Dモニターが研究開発され、河野氏が現役だった頃はまだ商業化の段階までいきませんでしたが、3Dが注目された草創期の頃でした。2006年に米ラスベガスで開催された展示会では、後に、世界初の3D本格映画「アバター」(2009年)で世界的なヒット作(50億ドルの興収)を生み出したジェームス・キャメロン監督も訪れ、彼は3Dについて、何時間もかなり細かい質問をしていたそうです。

 手術支援ロボットは、日本では川崎重工業の関連会社が「hinotori 火の鳥」というロボットを開発しましたが、病院参入まではまだ至らず、現在、米国で開発された「ダビンチ」というロボットが活躍しているそうです。ロボットによる手術は、①出血量が少なく、②傷口が小さくて目立たない、③術後の回復が早いーなどの利点があるそうです。

「インターネットと社会のかかわり史」

 次に登壇された報告者は、IT企画社長の才所敏明氏で、演題は「インターネットと社会のかかわり史」でした。

 才所氏は、1970年に技術者として東芝に入社し、情報システム部門に配属されて以来、半世紀以上、インターネットを含め情報技術の開発に携わってきた方でした。内容は、インターネットの発明・普及による社会の発展の歴史と、サイバー攻撃などその悪用による事件などを分析したものでした。

第64回諜報研究会「インターネットと社会のかかわり史」
第64回諜報研究会「インターネットと社会のかかわり史」

 才所氏は、インターネットの歴史として①発明・実装(1961~1984年)②日本上陸(1984~1992年)③商用サービス開始(1992~2002年)④社会基盤化(2002年~)の4段階に分けておりました。インターネットは米軍が開発したことは私も知っておりましたが、その基になったパケット通信の発明は、1961年に米ユタ州でテロによって3カ所の電話中継基地が破壊されたことがきっかけだったことまでは知りませんでした。このテロ事件で、米軍用の回線も一時的に完全停止したため、米国防総省は、核戦争時に従来の電話網は役に立たないと考え、新たな通信システムの研究に着手したといいます。

 その研究開発の担い手となったのが、米空軍のシンクタンクであるランド研究所です。その後、1974年にインターネットプロトコルであるTCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol=インターネット通信する上の取り決めを行なう通信規約)が発明され、カリフォルニア大学バークレー校など米国内の大学に広がり、1983年には軍事部門から切り離され、大学、そして世界へと普及していきます。

1984年、初めてインターネットに触れる

 私の個人的な話では、私が最初にインターネットに接したのは、かなり早く、1984年のことでした。私も取材陣として加わった同年夏に開催された米ロサンゼルス五輪のプレスルーム内に何十台かパソコンが置かれていたのです。そこで陸上や水泳などの五輪大会記録や世界記録などを検索すればプリントアウトできました。チャットやメールも出来ました。勿論、1984年当時は、パソコンどころか、インターネットも名称として普及していなかったので、単にコンピューターと言ってましたが、今から振り返るとあれは確かにパソコンで、端末はネットで繋がっていました。

 当時の日本ではパソコンはまだ高価で専門の技術者のもので、原稿は手書きで送信はFAXでした。よく覚えていますが、私は1985年に初めてエプソンの「ワードバンク」というワープロを個人的に購入しましたが、小さな液晶画面に出てくる文字は5行程度でした。ついでながら、私が生まれて初めて買ったパソコンはアップルの「マックブック」という機種で1995年のことでした。この時初めて、自宅でインターネットに接続しました。ウィンドウズ95が発売されたのもこの年で、私は1995年が日本の「インターネット元年」だと思っておりました。当時はまだ光回線などなく、電話ダイヤル方式で、画像を映し出すだけでもかなりの時間を要したことを覚えています。

 あまり、個人的な話をしてもしょうがないですね(笑)。才所氏によると、インターネットの社会基盤化が2002年というのは、この年になって初めて日本の6歳以上の人口の5割がネットを利用するようになったからだといいます。(2023年の6歳以上のネット利用者は約86%)

ネットは犯罪の温床?

 ネットの普及で便利になった半面、サイバー事故や事件が急速に増加しました。コンピューターウイルス、迷惑メール、サイバー攻撃などです。才所氏はこれら事故・事件の原因の一つは、送信者の匿名性にある、と強調されていました。送信者が匿名である限り、迷惑メールもサイバー攻撃もなくならない、というのです。確かにその通りで、絶望的になりますね。

 ただ、その一方で、才所氏はあまり触れていませんでしたが、最近は、YouTubeなどで顔と名前を出して、選挙に影響を与えたり、ライバーと呼ばれるネットで実況中継する女性が金銭問題で殺害されたりする事件が起きたりしています。顔を出し、位置情報を発信すれば、匿名性は失われます。匿名性に関わらず、インターネットは、その利便性ゆえ、犯罪の温床になってしまうということかもしれません。

アルゴリズムを操作し憎悪を煽動

 もう一つ問題なことは、SNSのプラットフォームを提供するフェイスブックは、広告媒体なので、ユーザーエンゲージメント(テレビの視聴率に相当か)をより多く獲得するために、アルゴリズム(計算手順)を操作して、人間の怒りや憎悪を煽って攻撃的な言動に走らせるコンテンツを優先して拡散していることです。この話は、今読んでいるユヴァル・ノア・ハラリ著「情報の人類史」に出てきた話ですが、具体的には、ミャンマーでのロヒンギャの大虐殺を例に挙げていました。今さら言うまでもなく、ネット上では、真実よりも、たとえフェイク(嘘)でも、怒りや憎悪を煽るコンテンツなら拡散しやすいということです。これが人間の性(さが)なのでしょう。

 私は、さすがにフェイスブックはやめましたが、個人的に、出来ればこんな悪意に満ちたネット生活から足を洗いたいと思う時もあります。しかし、今さらスマホを捨てるわけにもいかず、思案投げ首です。自分自身、無料でブログでせっせとネット上に情報を上げて、ただで生成AIのネタの一つにされていることも腹立たしく思っております。(だったら、ブログなんかやめてしまえ!ということです。)

 あれっ? 諜報研究会の話から少し離れてしまいました。研究会の内容を期待した方には気の毒でしたが、諜報研究会は、無料の講演会ですから、オンラインでも良いので参加されたら如何でしょうか? 詳細は、NPO法人インテリジェンス研究所のホームページをご覧ください。

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