かつての記者仲間と懇親会

3月13日付読売新聞朝刊「アンテナ」 雑感
3月13日付読売新聞朝刊「アンテナ」

 昨晩は、かつての記者仲間だった人たちを中心に5人が東京・赤羽の「佐藤商店」なる居酒屋に集結し、旧交を温めました。新聞記者というものは、自分と同じ会社の人以上に「同業他社」との横のつながりが強いのです。「記事を抜いた、抜かれた」というライバル関係ではありますが、同じ修羅場といいますか、歴史的現場を共有し、同時に取材対象者に迫ってしのぎを削ったりしましたから、共通の思い出や共通の友人の噂話に花が咲くのです。

 ほとんどの方は、引退されましたが、元読売新聞記者の鈴木嘉一さんは第一線の放送評論家として現在も活躍されています。読売新聞は、マスコミの中で日本一、いや世界一面倒見が良い会社じゃないでしょうか。昨年98歳で亡くなったナベツネこと渡辺恒雄氏なんか、政界の黒幕として暗躍しましたけど、彼は最後まで読売新聞社の主筆の肩書だけは離さず、会社も社内に広い主筆室を提供して最後まで面倒を見ていましたからね。

 放送評論家鈴木嘉一さんも、玉稿がちょうど、本日(3月13日付)の読売新聞朝刊の放送時評「アンテナ」に掲載されております。「半世紀に及んだ逃走の深い闇」というタイトルで、1970年代後半の連続企業爆破事件の指名手配犯で49年間逃亡生活を続け、最後に本名で亡くなった桐島聡と、明治10年代の秩父困民党事件で34年間、北海道に逃走し、最後に本名で亡くなった井上伝蔵のことを書いたものです。鈴木さんの博学な教養が溢れた文章で、流石です。

演劇評論家の杉山弘さんが昨年旅立っていた…

 その鈴木さんから伺ったのですが、元読売新聞の演劇記者で、演劇評論家の杉山弘(すぎやま・ひろむ)さんが昨年12月に、虚血性心不全のため67歳で亡くなっていたという話を聞いて、衝撃を受けました。私は彼とは演劇担当だった1996年頃知り合い、毎年、年賀状をやり取りする仲でしたが、今年は来なかったので、もう賀状は取りやめたのかなあ、と思っていました。

 演劇界には「読売演劇大賞」という権威がある大きな賞がありますが、杉山さんはその賞の選考委員もなさっていました。杉山さんのご冥福をお祈り申し上げます。私はボンクラですから、昨晩鈴木さんからお伺いしなかったら、杉山さんのことも知らなかったでしょう。やはり、たまには旧交を温める機会をつくるべきだと痛感しました。

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