埼玉県の仲が悪い浦和と大宮の間のJR京浜東北線駅に「さいたま新都心」があります。2000年4月1日に出来た新設駅です。
この駅の西口は、もともと国鉄大宮操作場、東口は片倉工業の工場があり、新都心として再開発しやすい広大な敷地があったわけです。その西口には、ホテルや大手企業のほか、総務省や財務省といった官庁の出先機関がつくられました。中央郵便局や税務署、病院、スーパーアリーナまであります。これは公式発表ではありませんが、東京を関東大震災級の大地震が再び襲って、霞ケ関の官庁の機能が不全になった時に、ここが緊急の代替機関として機能するようになっています。

例えば、関東の中心といえば東京なのですが、財務省関東財務局の本部は東京ではなく、このさいたま新都心(さいたま市中央区)に置いてあるのです。これは恐らく、過去の歴史に倣ったものではないかと思われます。102年前の1923年の関東大震災では、東京と横浜は壊滅的被害を受けましたが、埼玉県はほとんどありませんでした。そこで、東京の盆栽業者は埼玉県の大宮に移転して「盆栽村」を設立し、今では世界的にも有名になっています。特に、大宮には「武蔵一之宮」の氷川神社があり、神社仏閣がある土地は古代から安全な高台が選ばれていて、災害に強い場所に建てられています。
さいたま新都心も災害に強い土地として、東京の中央官庁の代替地に選ばれたのかもしれません。浦和と与野と大宮と岩槻が合併したさいたま市の役所も2031年度から浦和からこのさいたま新都心に移転する予定です。
そして、東口には現在、コクーンシティ(2004年開業)というアウトレットといいますか、ショッピングセンターがあります。家電量販店、スーパーマーケット、ファストファッションから高級ブラン品店まであります。書店も映画館までもあります。東京に行かなくても何でも揃っています。

このコクーンシティですが、その名称が、個人的に前々から気になっていました。コクーンCocoonとは英語で繭(まゆ)という意味ですから、建物のデザインが繭のように作られているからかな、と思っていました。
そしたら、昨日、その名前の由来がやっと分かりました。まさしく、コクーンは、形状ではなく、その繭そのものから来ていたのです。
先に書きましたが、このコクーンシティが出来る前は片倉工業の工場がありました。正直言いまして、この片倉工業が何の会社なのかほとんど知りませんでした。ただ、私の海城高校時代の同級生のK君がこの会社に勤務していたことだけは知っていました。
昨日、このコクーンシティの裏手辺りをうろついていたら、片倉工業株式会社が設置した「看板」を発見しました。以下の写真です。

そうっかー!片倉工業の工場というのは、製糸工場だったのかあ!製糸というのは生糸(きいと)、つまり絹になる蚕の繭から取った糸のことです。この工場ではたくさんの繭を扱っていたのです!
上の看板にある通り、明治6年(1873年)創業の片倉工業の製糸工場は明治34年、東京から大宮に移転し、そこから大正5年にこの地に再移転しています。敷地面積約7万8000坪。大正天皇の貞明皇后陛下や秩父宮妃殿下も視察に訪れたようです。
私は、この片倉工業に勤務していた高校時代の友人のK君にメールで問い合わせてみました。そしたら、直ぐに返信が来て、「僕が片倉工業に入社した最初の勤務地が、さいたま新都心駅前の今のコクーンシティの所にあった工場でした。最後の勤務地もさいたま新都心でしたが、看板には気が付きませんでした」というのです。驚き、桃ノ木、山椒の木です。K君と、さいたま新都心がそこまで縁が深かったとは知りませんでした。
でも、戦前、絹といえば日本の一大(輸出)産業でしたが、ナイロンなど化学繊維のお蔭で衰退してしまったことは皆さんも御存知の通りです。「当事者」であるK君は「ご推察のとおりコクーンの名称は繭から来ています。片倉工業は業種が製糸→実用衣料(肌着、靴下等)→不動産と変遷してきて、今も存続出来ているのは工場跡地等の不動産のお陰です」と明解な答えが返って来ました。
新聞社も部数低迷で、経済的基盤が新聞業から不動産業にシフトしているので、個人的にも他人事ではない話です。日本の産業の変遷史を見せつけられた感じです。
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