大雪の帯広で思い出したこと

雪の帯広市(AI生成なのでちょっと不正確かなあ) 雑感
雪の帯広市(AI生成なのでちょっと不正確かなあ)

 2月4日。私が住む関東地方は快晴なのですが、他の日本各地は、結構、雪が降っているようですね。温暖の土地、鹿児島県にまで降っているといいますから、どうしちゃったんでしょうか。特に、北海道の帯広では、3日から4日にかけての一晩で129センチも大雪が降ったということで、全国ニュースになりました。

あれから20年

 帯広は、かつて私が仕事で3年ほど赴任した土地です。2003年から06年にかけてですから、もう20年も昔の話です。テレビで大雪に見舞われた帯広の市内の風景が写っていましたが、懐かしくてしょうがなくなりました。帯広は「氷の町」と言われるぐらいですから、あまり雪が降らない土地です。太平洋側ですからね。氷の町なので、スケートが盛んです。長野五輪金メダリストの清水宏保さんは帯広出身ですし、先日、スピードスケートのワールドカップの通算勝利数を「35」に伸ばして、清水選手を抜いて日本歴代最多を記録した高木美帆選手は、帯広の隣りの幕別町出身です。 

 でも、私が20年前に赴任した帯広では、結構、大雪が降りました。大型の除雪車が何台も何台も登場して、メーンストリートを除雪していました。北海道は車が命ですからね。道路を除雪しないと経済がストップしてしまいます。それでも、私は自家用車は持っていませんでした。赴任早々の5月の連休に、然別湖にレンタカーを借りて遊びに行ったら、5月なのに小雪が降って来て、アイスバーンでハンドルを取られて、路肩にレンタカーをぶつけてしまい、お蔭で高額の修理費を取られてしまいました(苦笑)。それに凝りて、いや、運転に自信がなくなり、仕事では中古車を買うこともなく、バスを使うことにしました。

ユニークな十勝支庁19市町村

 帯広支局が担当する仕事のエリアは十勝支庁の19もある市町村です。面積は約1万平方キロメートルで岐阜県とほぼ同じです。零下35度にもなる「日本一寒い町」陸別町、誰でも知っている政治家鈴木宗男さんや歌手の松山千春さんの出身地として有名な足寄町や、十勝ワインで知られる鳥取池田藩が明治に開拓したという池田町(ドリカムの吉田美和さんの出身地。彼女は名門帯広柏葉高校出身)、バルーンフェスティバルで有名な上士幌町、ゲートボール発祥の地・芽室町、宇宙ロケット基地もある大樹町など忘れられないユニークな町ばかりです。

大雪で死にそうに

 私が赴任していたある冬の日、大雪でしたが、どうしても行かなくてはならない仕事で、確か、幕別町役場にバスで行きました。仕事を済ませて、帰りのバスに乗るまでが一苦労で、1メートルぐらいの積雪がありましたが、歩くのも大変で、バス停近くの歩道の溝みたいな所に落ちたらしく、ついに雪に埋もれそうになりました。こうして生きているのですから、無事だったのですが、雪に埋もれそうになった時はさすがにヤバイと思いました。大雪でバスを利用する人はおらず、歩いている人などほとんどいませんからね。

動物に癒された

 でも、帯広の良いところは、いっぱいあります。まず、市内の安い銭湯でも(モール)温泉だということです。岩盤浴場が何軒もありました。公園に行けば、キタキツネやエゾリスに出合うこともあります。いや、街の中でも大型の雄鹿を見掛けることがありました。牛舎も多く、乳絞りも覗かせてもらったことがありました、池田町には50頭ぐらいの羊を飼育しているセンターがあり、よく見に行きました。可愛いといいながら、ジンギスカン料理を食べていました。「白樺」というお店によく行きました(笑)。

 下手なスキーやスケートもしましたが、乗馬もしました。指導者が付いてくれて、ヘルメットも被る乗馬クラブです。3時間ぐらいのコースでした。人が少ないせいか、ストレスも少なく、十勝川では越冬している白鳥をたくさん見かけました。帯広畜産大学にも取材で行きましたし、動物さんたちには癒されたものです。

 帯広に赴任する前は、嫌で嫌でしょうがなかったのですが、行ってみると本当に良い所でした。特に零下20度の長い長い寒い冬が終わった5月半ばになって、やっと春を迎えて緑が芽吹き始め、その感動は何物にも代えがたいものでした。スーパーで蟹が安く買えたし、夏はアイスクリームが美味しかった。酒はうまいし、人は優しく親切でした。よそ者でも何の分け隔てなく接してくれて本当に有難かったです。

地ビールとお菓子の町

 付け加えるとすると、帯広に地産の美味しいチーズやビールがあり、「六花亭」や「柳月」などお菓子でも有名です。帯広の直ぐ隣りの音更町(おとふけちょう)では、怖いぐらいの満天の星に圧倒されました。

 帯広十勝の人たちは奥ゆかしい人ばかりなので、宣伝下手な所がありますが、意外と魅力いっぱいの町なのです。あれから20年も経つとは早いものです。そう言えば、ブログを始めたのは20年前、帯広に住んでいた時からでした。当時、色々と大変お世話になった平さんとは、音信不通になってしまいましたが、今頃どうされているのか、思い出しては案じています。

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