先日放送された「新美の巨人たち」で、剣持勇・作「ラタンチェア」(1961年)が、シシド・カフカさんの案内で紹介されていました。大変興味が湧いたので、わざわざバスを乗り継いで、その椅子が所蔵されている北浦和にある埼玉県立近代美術館にまで行って参りました。
番組では紹介されていませんでしたが、1人掛けの丸椅子だけではなく、2人掛けの丸椅子も展示されていて『剣持勇・作「丸椅子/ラウンジチェア」(1961年)』とプレートには書かれていました。ラタンチェアというのは、「藤(とう)椅子」ということです。志賀直哉や芥川龍之介らの小説を読むと、よく「藤の椅子」が出てきたものです。ラタンは東南アジアなどで自生するヤシ科の植物ですが、それだけ日本人には馴染みのある家具です。
埼玉近美では「ラタンチェア」ではなく「ラウンジチェア」として展示されていました。番組でも紹介されていましたが、デザイナーの剣持勇氏が、東京・永田町のホテルニュージャパンのラウンジ用の椅子として依頼されて作ったからでした。座ってみると、何となく、ホテルのラウンジにいるような感じになりました(笑)。もう少し柔らかい椅子かと思ったら、結構、堅く、しっかりした作りになっていました。ちなみに、館内にはこれらの椅子以外にも何脚か常設展示されていて、企画展ではないので、無料で鑑賞したり、座ったりできます。ですから、交通費を掛けてでも観る価値はあります(笑)。
ホテルニュージャパンは、若い人は知らないでしょうが、今から43年前の1982年2月に宿泊客による寝たばこの不始末により火災事故を起こし、33人の方が亡くなり、34人が負傷されました。オーナー兼社長だった横井英樹の利益優先の杜撰な防災管理設備で被害が拡大したということで大きな話題になりました。私も火災後の現場を訪れたものでした。ホテルの裏手が都立日比谷高校だったので、「へ~」と思ってしまいました。
ホテルニュージャパンの火災により、剣持勇さんのラウンジチェアも消滅してしまったのでした。かろうじで残ったのは、「永久収蔵」が決定したニューヨーク近代美術館(MOMA)とこの埼玉近代美術館ぐらいなのかもしれません。ただし、現在でもこの椅子は、大変な複雑な工程と作業によって製作されており、販売もされています。「欲しいなあ~」と思ったら、一脚(1人掛け)、31万9000円なんだそうです。裕福な皆さまにはお勧めです。
私は知らなかったのですが、このデザイナーの剣持勇氏(1912~71年)は、斯界ではかなり有名な方でした。ヤクルトのあの容器をデザインしたのがこの剣持氏だと知った時は、驚きました。還暦前の若さで亡くなっているので、どうされたのかと思って調べてみたら、どうやら、自死されたようでした。傍から見れば大成功を収めた人に思えますが、個人的には複雑な事情を抱えていたのかもしれません。
番組では、その辺りは全く触れていませんでした。
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