エルビス・プレスリーは不幸だった?

エルビス・プレスリー(1958年)Wikimedia Commons 雑感
エルビス・プレスリー(1958年)Wikimedia Commons

 先日、テレビで放送された映画「エルヴィス」(2022年、バス・ラーマン監督作品)を観ました。改めて、世界的スーパースターとは言っても、「随分不幸な生涯だったなあ」と、観終わって何度も溜息が出てしまいました。

 米テネシー州メンフィスで音楽の洗礼を浴びた無名の若者エルビス・プレスリー(オースティン・バトラー)を売り出すパーカー大佐(トム・ハンクス)のピカレスク(悪党)物語と言ってもいいかしれません。何しろ、史実らしいのですが、エルビスを酷使し、彼の晩年のギャラの50%も搾取していたことも描かれています。

 エルビス自身も愛する母親の死や妻との離婚など次々と不幸が押し寄せ、1977年8月16日、処方薬の過剰摂取らしい原因で42歳の若さで亡くなっています。私の記憶では、エルビスが亡くなる前の当時の日本で、エルビスは過食症で、ドーナツの食べ過ぎでぶくぶくと太り、とてもステージに立てる状態ではない、といったゴシップ記事が流れていたものでした。

 いくら大成功して大金と豪邸を手にして悠々自適な生活を送っても、スーパースターというものは不幸の裏返しだなあと思ってしまいました。エルビスだけではなく、アメリカン・カルチャーの代表であるジェームス・ディーンもマリリン・モンローも、そしてマイケル・ジャクソンといった大スターも、大きな声では言えませんが、随分、不幸な生涯だったなあと思ってしまいます。まるで成功を手に入れるために不幸と取引したみたいに見えます。

プラスマイナス・ゼロの法則

 人の幸不幸というものは、プラスマイナスでゼロのような気がします。

 例えば、高額の宝くじに当選した人は、その時は幸福ではありますが、その後は、色々と周囲ともめて、友人や親戚、夫婦関係までうまく行かなくなってしまう人が多いようです。「宝くじなんか当たらなければよかった」と弁護士に相談する人もいるそうです。

 人間の幸不幸が、プラスマイナス・ゼロだとすれば、有名になったり、大金を稼いだりしなくても、無名でそこそこの生活が出来る平々凡々の生涯を送るのが一番のような気がします。個人の生き方や考え方ですから、イーロン・マスクさんのように大富豪になって、世界中に影響を与える人生を送りたいと思う人がいれば、それはそれで良いのですが、後で振り返れば虚しさだけが先行して心もとないものです。

 私自身も、もういい年ですから、火中の栗を拾うことなく、波風が立たない穏やかで平凡な人生を全うしたいなあ、と強く思っています。

平凡が一番幸せ

 平凡には、溢れんばかりの幸福感はありませんが、不幸ではありません。まさに、プラスマイナス・ゼロのイーブンです。でも、こういう生き方こそが一番難しいのかもしれません。人間、どうしても、刺激を求めて羽目を外したり、暴飲暴食したり、夜更かししたり、もう老後なのに老後の不安を感じて怪しい投資話に騙されて大金を失ったりします。

 「平凡が一番幸せ」と肝に銘じるべきかもしれません。

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