テレビやYouTubeなどで顔や名前を晒して、自分の主張や意見を開陳するコメンテーターや評論家や学者や作家やタレント等らは凄いなあ、と思ってしまいます。彼らは自信満々ですから、時には、自信過剰だなあと思ったりしてしまいます。
私はその正反対だからです。自信過剰の正反対は何かな?敢えて言えば、自信過小です。それは多感だった人格形成の10代の時に、太宰治を読み過ぎたせいかもしれません。「生まれてすみません」です。家に父親が買った全集がありましたから、高校3年間で全作品を書簡集まで読破してしまいました。それでは、まだ足りず、檀一雄や山岸外史らによる評伝も読み、いっぱしの通になったつもりでした。自分が一番の太宰の理解者だと。
18歳の時、そんな理論武装をして、三鷹の禅林寺の桜桃忌(6月19日、太宰の命日の墓参り)に行ったところ、似たようなかぶれた人間ばかりで唖然としてしまいました。中には、ヨレヨレの薄汚い短い鼠色のレインコートを着て、髪の毛はボサボサの痩せぎすの若い男が、これを見よがしに墓前の前に3分間も蹲って手を合わせていて、すっかり興醒めしてしまいました。
踵を返して帰ろうとしたら、桜桃忌の世話人の方が「これから太宰の所縁の玉川上水に行きますので希望者はどうぞ」と呼び掛けてくれました。この時、集まったのは若い男女を中心に20人ほどだったでしょうか。後で分かったのですが、世話人代表は、長篠康一郎さんでした。もう一人の世話人は、太宰の直弟子だった桂英澄さんでした。
長篠さんは知る人ぞ知る太宰文学研究の第一人者で、「人間太宰治研究」や「山崎冨栄の生涯」など著書多数です。桂さんは、「正義と微笑」が収録された太宰全集の何巻かの口絵写真で、太宰と一緒に写っている写真がありました。若き桂さんが出征する前の送別会の写真でした。「太宰治と津軽路」などの著書があります。
もう半世紀も昔の話なので、お名前は忘れてしまいましたが、その文学散歩の後、どういうわけか、近くに下宿しているという大学生の石本さん(仮名)が「これから俺の部屋に皆で来ないか、狭いけど」と誘ってくれました。中央大学文学部の学生で、小説も書いているという文学青年でした。その誘いに乗ったのが、私と、私より2歳ぐらい年長で、やはり大学生の田所さん(仮名)、そしてもう一人は、看護学校に通っているという19歳の女性でした。彼女の名前も忘れてしまいましたが、夕顔さんということにしておきましょう。まるで光源氏みたいですね(笑)。
石本さんの下宿はお風呂のない六畳一間で、100枚ぐらい書いたという自作の小説の一部を朗読したりしておりました。
その日、私は夕顔さんと恋に落ちてしまいました。世の中にこんな美しい女性がいるとは思えないほど清楚な女性でした。黒い長い髪の毛を肩まで伸ばし、スラリとした体型で花柄のブラウスにジーンズを履いていました。田所さんからは「美男美女のカップルでいいじゃないか」と後押しをしてくれました。月明りの中、2人だけで古い木造の下宿の外に出て、取り留めのない話をしました。
その日は夜通し起きていて、始発電車で帰りました。私は西武池袋線、彼女は当時の赤羽線に乗るということで、池袋の赤羽線のプラットフォームで別れました。
18歳ではあまりにも若過ぎました。彼女の住所も電話番号も聞くことなく、そのまま別れました。まさに一期一会でしたが、半世紀経った今でも、あの時、寂しそうな表情を浮かべて俯いた夕顔さんのことを思い出します。
コメント