メルヘン三軒茶屋物語

三軒茶屋「三角州」にある安売り飲み屋さん 雑感
三軒茶屋「三角州」にある安売り飲み屋さん

 ※これから書くことは、あくまでも創作で、実在の人物や場所等とは関係がない場合もあります。

 11月26日(火)、平日の午後だというのに昼間っから酔っ払ている不逞の輩が5人もおりました。場所は、東京都世田谷区の高級住宅街の一つ、三軒茶屋です。

 ここにお住まいの山本悦夫さんが自宅で転倒して左鎖骨を骨折し、1カ月も入院しましたが、このほど退院して自宅療養中だという噂が燎原の火の如く広まり、不逞の輩が5人も山本さんの自宅を「退院祝いのお見舞い」と称して押し寄せたのでした。平日の昼間でも無職の素浪人は暇なのです(笑)。

 呼び掛け人は、ウマズイめんくい村の赤羽彦作村長さんでした。御迷惑ですから、当初は3人で行く予定だったらしいのですが、調子に乗った渓流斎が他の人も誘ったところ5人になりました。慌てふためいた彦作村長は真っ青な顔をして、口から泡を吹いて、前日になって渓流斎に急に電話をして来て、「やばい、嗚呼、やばい」とまるで女子高生のような言辞を弄しました。どうやら何か問題がありそうでしたが、彦作村長は、最後まではぐらかして、ニタニタしてその理由は明らかにしませんでした。

 結局、御迷惑をお掛けしたのは山本氏の令夫人でした。前夜から用意されたような豪華なオードブルを何点も用意されていたのです。当初は30分以内でお暇しましょう、と口約束していたのに、用意して頂いた口当たりの良い高級ワインを口にすると、30分が過ぎ、1時間が過ぎ、とうとう2時間以上も長居してしまいました。

 山本氏は、60年以上の歴史がある同人誌「四人」を主宰されています。「麦と兵隊」などで知られる火野葦平も創刊に関わったという同人誌です。その同人で沖縄県在住の大城由乃さんが、「四人」105号と106号に連載されていた「神女(カミンチュ)」が第18回全国同人雑誌最優秀賞(賞金30万円)に輝いたことを山本氏は誇らしげに語っておりました。確かに、凄いです。今の時代、新聞も本も読まなくなった若い世代が増えたという時代に、同人誌を発行続けていること自体がまず奇跡的に凄いということもありますが、現在、全国に何百冊の同人誌があるのか知りませんが、その数多ある同人誌の作品の中で最優秀賞に輝くことは本当に凄いと言わざるを得ません。

「全国同人雑誌協会」ニュースレター第8号(2024年11月25日発行)
「全国同人雑誌協会」ニュースレター第8号(2024年11月25日発行)

 しかも、この全国同人雑誌賞の選考委員が、三田誠広、中上紀、小浜清志、五十嵐勉の各氏でいずれも著名な文学者です。つい、「ブンガクしているなあ~」とほざきたくなりました。

 また、山本氏は3年前に出版された「ホーニドハウス」(インターナショナルセイア)の英語版を自ら翻訳して出版されていました。これまた驚きでした。

”Haunted House in Florida” by Etsuo Yamada
”Haunted House in Florida” by Etsuo Yamada

 あとはホスト役の山本氏をほおっておいて、参加した不逞の輩による放談会です。皆、好き勝手放題に日頃の蘊蓄を傾けておりました。ただし、「能ある鷹は爪を隠す」のことわざにある通り、元日経文化部記者の浦田さんは大御所作家に何人もインタビューし、「未完の平成文学史」(早川書房)など多くの著書があるというのに、終始、口数も少なく、自分の知識をひけらかすようなまねはしませんでした。

 その逆が時事通信記者から大学講師に転身し、今や悠々自適の声が大きい日暮里さんです。「佐藤祐二、台湾有事」などと訳が分からない親父ギャグを連発して周囲の顰蹙を浴びておりました。でも、日暮里氏が1990年代に、郵政省の記者クラブに配属されていた時に、もう何十年も記者クラブにいて「主(ぬし)」になっていた産経新聞のロートル記者がいて、その人は、戦艦ミズーリー号で行われた日本が降伏文書を調印した式典(1945年9月2日)を取材していたという話をするので、渓流斎も引っ繰り返るほど驚きました。当時20代だとしても、1990年代では既に70代。産経新聞社は面倒見が良い会社だなあという話になりました。

 また、物識りの山本氏が「(江戸幕府が1861年に長崎に開院した養生所の流れを汲む)長崎医大は、官立では最も古い、東京帝国大学より古い医学校ですよ」という話になり、長崎医大と言えば、「長崎の鐘」で知られる永井隆博士の出身校であるという話になりました。そしたら、日暮里さんは「永井博士の長男の永井誠一さんは、時事通信社会部時代の上司(デスク)だったよ。普段は大人しいのに酒を呑むと怖かった」といった話をしておりました。

 山本氏邸を辞して、不逞の輩5人が向かったのは、三軒茶屋駅にほど近い「三角州」です。国道246号と世田谷通り(旧大山道)に囲まれた三角地帯で、戦後闇市が建った所らしく、今でも昭和レトロが漂う古い飲食店が軒並みを連ねておりました。三軒茶屋と言えば、高級住宅街のイメージしかなかったので、こんな庶民的な店があるとは驚きでした。

 まだ夕方の開店には早い時間だったので、どこか空いている店はないかと徘徊した上で見つけた店に入りました。確かに「千ベロ」のような安いお店でした。この店での密談はブログには書けませんが、とても楽しい時間を過ごすことが出来ました。

 

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