唐津にお住まいの叔母さんが、福岡で開催中の大相撲九州場所を観戦して来たというので、写真も送ってくれました。私は、相撲は東京の国技館で観戦したことはありますが、地方場所はなく、特に、美味しいものと美女と博多弁に恵まれた九州場所は一度行きたいなあと憧れるところです。「いいなあ~」というのが正直な感想です。御大尽かローマ皇帝ネロになった気分なんでしょうねえ。
相撲は最近好きになりました。最近とは言っても、20年ぐらい前です(笑)。その前は、どうも好きになれず、運動部記者時代は相撲担当にならないように逃げ廻っていました。でも、年を取ると、人間、自分たちの歴史と伝統に目覚めるもので、これほど長い間、そう神代の時代から長く愛されている「国技」の相撲の深さには恐れ入るしかなくなったのです。調べれば調べるほど色んな逸話が出て来ます。あの織田信長も相撲をこよなく愛して、しばしば御前試合を催したといわれてます。
好きになれなかった理由は、よく「週刊ポスト」等で噂された「八百長試合」です。そもそも、大相撲の興行のバックには江戸時代から大手広域団体がいて、星取り勘定も金銭でやり取りしていたといわれています。相撲担当のA氏によると、歴代最高の大横綱と言われ、今でも人気の高い力士(故人)は、背後にS会がいて、「作られた横綱」という話を聞いたこともあります。
まあ、そんなこと知っても単に興行として楽しめばそれで良いのですが、今の相撲は昔と違って殆ど八百長がなく、純粋のガチンコ試合になったそうですね。だから、かつて以上にケガ人が多く、休業が続き、優勝しても、幕下に落ちてしまう関取も結構います。要するに真剣試合だからです。でも、そのせいで、観戦が俄然、面白くなったのです。
ところで、最近知ったのですが、日本相撲協会のホームページはかなり充実していますね。各力士のプロフィールや対戦成績などが充実しているのは当然のことながら、取組の「決まり手」には大いに参考になります。例えば、「押し出し」の解説として、「両手または片手を筈(はず=親指と他の4本指をY字に開くこと)にして、相手の脇の下や胸に当てて土俵の外に出すこと」などと書かれています。
この「筈」ですが、「そんな筈はない」とか「彼女はもう既に来ているはずだ」などと日常的に使っていますが、調べてみたら、もともと弓道用語で、弓矢の端っこで、弦につがえる切り込みある部分だということが分かりました。矢筈ともいいます。
弓矢が語源になった言葉として他に「かけがえのない」があります。弓を引く際に使う革製の手袋である「弽(かけ)」に由来し、自分の手に馴染んだ「かけ」は替えがないほど大切で、他人に貸し借りするようなものではないというところ来ているという説が有力です。へ~知らなかったですね。
あ、相撲の話でした。相撲を語源にする言葉は、それこそ沢山あります。「ひとり相撲」「揚げ足を取る」「脇が甘い」「白黒をつける」「待ったなし」「押しが強い」などです。これらは皆さんも普段、日常に使っていますよね。
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