今月からフリーランスになりましたので、この《渓流斎日乗》ブログを友人、知人、おっとさん、おっかさん、爺ちゃん、婆ちゃん、大家さん、御隠居、与太郎、粗忽者に売り込んでおります。中には「えっ? ブログやっていたの?」と驚く人もおります。彼には「はい、秘密結社で20年近くやっておりました」と弁明しておきました(笑)。
その彼、A氏は元会社の同僚です。若き頃、特ダネ記者として鳴らしました。早速、彼は「ブログのネタになるかもしれませんよ」と話題を提供してくれました。今ときめく日本だけでなく世界中が注目する米大リーグ、ドジャース大谷翔平の名前の由来です。はい、ブログのネタには非常に困っておりました(苦笑)。
確かに、大谷選手の球場での大活躍は毎日のように報道されますが、彼自身や親きょうだいや奥さんのプライベートな話題はそれほど深くは報道されません。個人情報保護法の影響でしょう。最近の週刊誌も随分、礼儀正しくなったものです。
翔平は源義経にちなんで付けられた
A氏によると、大谷の翔平の名前は、大谷の父親の徹さんが源義経にちなんで付けたものだというのです。大谷の兄と姉は横浜生まれですが、翔平は1994年、岩手県奥州市生まれ。義経の「羽ばたく」イメージから「翔」、「平」は、義経が長らく滞在した奥州藤原氏の「平泉」から取ったそうです。
なるほど、そういうことでしたか。
父徹さんは岩手県立黒沢尻工業高校野球部出身で、甲子園を目指しましたが叶わず。卒業後、社会人野球の三菱重工横浜でプレーし、プロを目指しましたが、志半ばで断念。長男ということもあり、実家の岩手県に戻り、自動車の車体メーカーに就職します。
その前に、徹さんが大谷の母となる加代子さんと出会ったのは三菱重工横浜時代で、加代子さんは三菱重工横浜のバドミントン部に所属していました。加代子さんは、中学、高校時代から、後に1992年のバルセロナ五輪に出場した陣内貴美子(現キャスター)と全国大会の決勝で何度も対戦したことがあった実力の持ち主でした。
陣内貴美子選手、懐かしいですね。私も彼女が熊本中央女子高時代の1980年代に取材したことがあります。かなりの美人さんで、日刊スポーツの黒木記者を中心に運動記者会の中でファンクラブが作られたほどです。その黒木さんも数年前に亡くなられたという話を聞きました。
大谷選手の話でした。こうして、両親だけではなく、大谷の祖父も野球をやっていたり、高身長と運動神経に恵まれたりしていたといいますから、やはり、彼の体格といい、抜群の運動センスといい、DNA(遺伝)の影響が強いということがよく分かりました。
それにしても、A氏はよく知っているなあ、と思いましたら、10年近い昔に「日刊ゲンダイ」で連載された記事の受け売りのようでした。
お後がよろしいようで…。
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