【身辺雑記】ヒト、モノに執着するな

白い彼岸花は初めて見ました 書評
白い彼岸花は初めて見ました

返信がない

 個人的に、今秋は人生の一大転換期であるので、数少ない親しい友人たちに「御挨拶」のメールを差し上げました。そしたら、返信がないんですよね。1人や2人だったら、まあ、たまたま、とか偶然とかで納得できるのですが、それが4人も5人も、となると心穏やかになれません。

 こっちが勝手に親友だと思っていただけで、向こうは何とも思っていなかったのかもしれません。喧嘩したわけではないので猶更です。普通、返事ぐらい出すでしょう。もう何十年も付き合ってきた友人たちですから。随分、傲慢な失礼な奴だなあ、と怒りがこみあげる一方、理由が分からないので、もしかしたら、事故や事件に巻き込まれているのではないか、それとも長期入院しているのか、まさか、亡くなったわけではないでしょうね、と心配になってきます。

 本当に5人もいるのです。日本人ですが、長い間、米国に住んでいるA君。45年以上の付き合いですが、ウンともスンとも言って来ません。そして、大学時代のB君とC君、中学生時代の友人のD君、社会人になって知り合ったE君も同様です。勿論、5人の横の繋がりはありませんから、5人が示し合せて、渓流斎の野郎を無視してやろうと協定を結んだわけではないと思われます。どうしたものか。苛立ちと不安が押し寄せて来ます。

体のいい絶交宣言

 そしたら、昨日になってやっと2人から返信が来ました。1カ月ぶりに返事が来たB君は、病気だったようです。メンタル面もあったので、返信する気が起きなかったのでしょう。C君は誠実な奴で、しっかり理由が書かれていました。「貴兄がブログで取り上げる本は小生の趣味にあまり合わない」「貴兄と会うと取材されているよう気分になるので、貴兄がブログをやめたらいつかお茶でもしましょう」といった趣旨でした。

 なるほど。体のいい絶交宣言ですね。愚生も今のところブログをやめるつもりはないし、趣味が合わなければ無理に交際することもないのではと思ってしまいました。

救いとなった「禅語」

 それ以上に、自分は何か酷いことでも、悪い事でもしたのかい?とかなり落ち込んでしまいました。そんな時、救いの言葉となったのが「禅語」でした。それまで禅語は、「難解」と敬遠していて深く勉強して来ませんでしたが、今置かれた私に最も相応しい、最も適切な言葉に溢れています。

 今、言葉、言葉、と書きましたが、例えば、禅語で最も有名な「日日是好日」は、私は「ひびこれこうじつ」と読むのかとずっと思っていましたが、「にちにちこれこうにち」と読むのが正しいという説もあれば、「にちにちこれこうじつ」とも読む、という説もあります。また、原意は「毎日が良い日だ」としながら、ここから派生して「毎日毎日を努めて良き日とするべきだ」とか「日々を良し悪しで一喜一憂するな」とか「毎日が良しとしてあるがままに受け入れるべきだ」などと解釈できるといいます。

 何だ、要するに、禅語は文学ではありませんか。

 自宅近くの図書館に行ったら、酷いもんで、「禅語」の本が1冊もなかったので、本屋さんに行って買って来ました。武山廣道監修「くり返し読みたい禅語」(リベラル社)という本を見つけてきました。「第一章 人間関係を円滑にする言葉」「第二章 悩いや迷いを解消する言葉」などが並んでいます。やっぱり「言葉」だったですね(笑)。

武山廣道監修「くり返し読みたい禅語」(リベラル社)
武山廣道監修「くり返し読みたい禅語」(リベラル社)

 この本は何処からでもいつでも読めるので、何か壁にぶつかった際、手に取って読んでみるつもりです。禅宗に影響を受けた人物として、私が最も尊敬する作家の夏目漱石がおりますし、欧米人にも影響を与え、アップル創業者のスティーブ・ジョブズやロックスターのデヴィッド・ボウイらがいて、彼らは京都の禅寺をお忍びで訪れたりしていました。漱石は鎌倉の円覚寺で座禅の経験もあり、「門」などの作品に反映されています。ジョブズは京都の龍安寺(臨済宗妙心寺派)や西芳寺(臨済宗)、ボウイは京都・西賀茂の正伝寺(臨済宗南禅寺派)です。

 禅寺は、枯山水などの庭園が付き物ですから、またいつか私も、メンタルヘルスのために参拝したいと思っています。

 私自身、今回の悩みで一番救いになった禅語は、「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」です。禅宗六祖慧能(えのう)の言葉だと言われています。これも様々な解釈がありますが、モノでもヒトでも、それがたとえ大切な思い出の品であっても、大の親友であっても、執着するな、執着するから悩みが発生するのだと私は解釈しました。解釈は日々変わってもいいと思っています。禅語は禅僧だけの独占物ではありません。それが禅語の素晴らしさだと思っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました