【人生訓】無頼派素浪人の一生

高橋三千綱著「素浪人心得」(講談社、2010年1月26日初版) 書評
高橋三千綱著「素浪人心得」(講談社、2010年1月26日初版)

 愚生は10月1日からどこの組織にも属さないフリーランスになることから、畏友栗原氏から「是非」と薦められた本がありました。高橋三千綱著「素浪人心得」(講談社)という本です。2010年1月26日初版ということですから、もう15年近く前に出版された本です。

本の目利き

 もう10年近く前の話ですが、私が長期入院を余儀なくされた時、何度も面会に来て、本まで差し入れてくれた恩人がこの栗原さんでした。その時、差し入れてくださった本は、アドラーの心理学の本です。アドラーは私も初めて知る心理学者でしたが、フロイトとは違って、個人の悩みは過去に起因するのではなく、未来の目的を遂げるための行動に起因するとし、認知の歪みから生じるものだ、というかなり難解な理論でした。それでも、読了後、少し心が軽くなったことを覚えています。このように、栗原氏は「本の目利き」で、その時、その場のライフステージに相応しい本を紹介してくれるのです。

 確かに、この「素浪人の心得」は、今の私の立場と時期にピッタリな本でした。素浪人にこれからなる人、既になった人の心構えとして参考になることが多く書かれています。とはいえ、「指南書」というより、どちらかと言えば、「反面教師」として、作者のような人生を真似すると大変なことになりますよ、という教訓として読めばちょうど良いかもしれません。

高橋三千綱とは

 私自身、高橋三千綱さんの熱心な愛読者ではなく、彼の作品はほとんど読んだことはありませんでした。1978年に芥川賞を受賞した「九月の空」は、高校の剣道部を舞台にした青春小説で、学生時代に読んだことはありますが、内容は忘れています。この作品の宣伝のためか、作者が剣道着を着込んで竹刀を構えた写真を見たことがあります。さすが子供の時にNHK児童劇団で活躍していたことだけあります。あれで二枚目俳優のような長髪のイケメンのイメージは刷り込まれました。その後、彼の小説は読みませんでしたが、彼は、競馬や麻雀などのギャンブルやゴルフ好きで、しばしば専門誌に登場し、嘘か誠か、派手な女性関係の浮名でも有名だったことも覚えています。

 彼の小説を読んでいなくても、この「素浪人の心得」を読むと、彼の人となりと作家生活が具(つぶさ)に分かります。逆に、この本を読んで初めて、高橋三千綱という人がどういう人だったのか分かりました。要するに「素浪人の心得」は彼の自叙伝だったのです。でも、これほど、破天荒で、でたらめな生活をしていた人だったとは思いませんでした。途中で書けなくなって編集者を裏切ったり、毎日、毎日、朝から晩まで酒浸りで、その酒量が半端ではなく、身体を壊して大手術までしたりしていた人だったのです。映画づくりでかなりの借金を背負ったこともあります。一言で言えば、アル中の無頼派ですが、こういう無頼漢の人でないと作家になれないのか、それとも、こういう無頼漢の人だから、作家になるしかなかったのかどちらかだと思ってしまいました。

 まあ、世界には、毎日規則正しい生活をして、毎日決まった枚数の原稿を書き、マラソンまでして、ノーベル賞を狙っているベストセラー作家さんもいますから、人それぞれですが。

東スポの記者だった

 この本で初めて知って驚いたことは沢山あります。彼は若い頃、様々な仕事を転々とし、東京スポーツの記者までやっていたとは知りませんでした。私も昵懇だった東スポの元記者Sさんは、高橋さんとは年が近いので恐らく面識があったことでしょう。面識といえば、この本を私に推薦してくれた栗原さんは、早稲田大学の学生時代、高橋三千綱さんとは英語の授業で一緒だったというのです。高橋氏はサンフランシスコ州立大を中退し、早大に入学しますが(後に除籍)、栗原さんは「やけに英語の発音が良い奴がいるなあ」と感心していたそうです。

定年退職して鬱病になった人へ

 この本を読むと、作家というものは毎日酒ばかり呑んで、締め切りも守らず、いつもフラフラと旅に出て、自由で優雅な生活をしているなあ、と思ってしまいますが、作者特有の韜晦で、かなり誇張した書き方で、自分をわざと卑下しただけではないかと薄っすらと勘づいてしまいます。第一、本物のぐうたらで、ただ遊び惚けている人間だとしたら、本なんか書けるわけがありません。

 彼は同書でこんなことを書いています。

定年退職して時間をもてあまし、アル中になった人もいるし、鬱病にかかった人もいるが、そういう人たちに、気力と自信と社会への奉仕心を呼び起こすのが自由人たる私の役目であったはずなのに、私自身が気弱になっていたのでは素浪人の楽しさ、気宇壮大な心持ち、そして素浪人の目に映るその風光明媚な景色を喧伝するわけにはいかない。

「素浪人心得」141ページ

 やはり、この文章を読んだだけでも、彼は、生真面目な芥川賞作家だということが分かります。彼の御尊父(高野三郎)は「売れない作家だった」とこの本に書いておりますが、確かに父親のDNAを継いで文才に恵まれています。

文壇とは

 その一方で、彼の文壇に関する観察眼の鋭さには圧倒されました。

小説を書き出した頃は怖いもの知らずであり、周囲にも目がいかなかったので意識することはなかったのだが、その後、作家生活が深みに入るにつれて分かったことは、この世界は海にぽっかり浮いた小島であり、そこには何百人という作家がおしくらまんじゅうさながらにうごめいていて、ちょっと油断すると海に突き落とされてしまうということだった。しかも、その中に「天才」といわれる人、頭のよい人、人間性は最低だが筆をとらせると美しい日本語をあやつって人々を幻惑させる人、朴訥を売りにする人、盗作のうまい人、老人殺しで世を渡る人など偉才、秀才、奇才、異才、如才でひしめきあっていた。…私のいる場所などどこにもないように見えた。

「素浪人心得」141ページ

 かなり冷静な醒めた分析です。私も昔、文芸記者なる仕事をして多くの作家さんたちを見て来ましたが、確かに「筆をとらせると美しい日本語をあやつるが、人間性は最低」の作家さんも少なからず見て来ました。彼らのことを比喩として何かしらの言葉にすることが出来ませんでしたが、高橋三千綱さんによって初めて言葉にしてもらった感じです。

 そんな高橋三千綱氏ですが、3年前の2021年に73歳で病没されています。若い頃の無理がたたって晩年は病の影響で痩せこけてしまいましたが、見事、無頼派作家を演じきった感じでした。

この本は300ページ以上もありますが、最後の方でやっと素浪人としての「メリット」が12列挙されていました。その中で一つだけ挙げるとすれば、「(素浪人は)金銭とは無縁である。従って、怪しい人間が寄ってくることはなく、騙される心配もない」は、実に名言です。

 この本を読む限りですが、こんな波瀾万丈の無頼派作家に文句一つ言わず最後まで、生活面まで支えた彼の奥さんが実に出来た偉い人だったことを付け加えておかなければなりません。

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