開戦決定者の中に国民が選んだ政治家は一人もいなかった

「歴史道」(朝日新聞出版)34号 太平洋戦争全史1941ー45 歴史
「歴史道」(朝日新聞出版)34号 太平洋戦争全史1941ー45

 日本の8月といえば、やはり、先の大戦を振り返る月となります。「先の大戦」と言っても、終戦から79年の歳月を経過したため、今や戦後生まれが全人口の87%を占めています。実際に、戦争を体験した世代は全体の2割も満たず、記憶が風化していく懸念さえ生じて来ています。

 特に、学校教育では、歴史の授業が古代史から始まりますから、近現代史が手付かずで終わってしまうケースが大半です。受験にもそれらの範囲が出るのは稀ですから、受験生も安心して近現代史を学ばずにそのまま大人になってしまいます。

 それでも、救いなことは、多くの家庭で自分の両親や祖父母らから実体験や戦争の悲惨さを聞いて育ったことです。先のアジア・太平洋戦争では、日本は310万人が犠牲になったと言われていますから、どんな日本人でも、自分の肉親や友人知人の最低1人か2人は犠牲になっていますから、実体験に事欠かないはずです。

 ですから、「学校で教えてくれなかったから」という理由は通じないはずです。自ら積極的に近現代史を勉強して、二度と戦争はしてはならないという思想を次の世代に伝えていかなければなりません。

大日本帝国 国民の戦争責任

 そういう私も、まだまだ勉強不足を感じています。2024年8月2日付の毎日新聞に掲載された栗原俊雄専門記者による連載「現代をみる」の「大日本帝国 国民の戦争責任」を読んで初めて教えられたことがありました。「国民の戦争責任」について書かれています。

 少し要約しますと、戦前の帝国議会は、衆議院と貴族院で構成され、貴族院議員は皇族や華族、多額納税者から選挙なしで選ばれ、選挙によって選ばれる衆院議員(被選挙権は満30歳以上の男性)の有権者は満25歳以上の男性のみで女性は立候補も投票することも許されませんでした。

 1932年の5.15事件で犬養毅首相が暗殺されて以降、45年の敗戦までの13年間で11人が首相になりましたが、そのうち8人が軍人で、他の3人は貴族院議員の近衛文麿(1300年続く藤原摂関家の筆頭)、司法官僚の平沼騏一郎、外交官の広田弘毅です。国民が選ぶ衆院に議席を持っていた者は一人もいなかったのでした。

 栗原記者はこう書きます。「有権者が選んだ政治家が首相になり、その首相が戦争を主導したのであれば、国民全体の一部とはいえ、選んだ有権者の責任は問われるべきだろう。だが、実際は違った」。そして、こう付け加えます。「帝国を破滅させることになる太平洋戦争に突き進んだ時点の東条英機内閣に衆院議員は一人もいない」。

大本営政府連絡会議

 そうだったのかあ~です。私は不勉強でそこまで思いが至りませんでした。もう少し、詳しく知りたいと思い、「『歴史道』(朝日新聞出版)34号 太平洋戦争全史1941ー45」を購入したところ、ノンフィクション作家の保阪正康氏が「誰が戦争を始めたのか?」の題で特別寄稿していました。

 それによりますと、天皇が臨席する御前会議は、既に決定された国策を追認する国家機関で、1941年12月1日の御前会議で、対米英蘭戦争を最終決定したことになっていますが、実はその前の11月29日の「大本営政府連絡会議」で開戦は決まっていたといいます。

 この大本営政府連絡会議とは何か? 1937年の日中戦争開始後、戦争指導の一元化を図るために政府と統帥部(大本営)の調整連絡機関として設置されたものでした。11月29日に開戦を決定した出席者は以下の9人です。

【政府側】

・東条英機(総理大臣兼陸軍大臣)

・嶋田繁太郎(海軍大臣)

・東郷茂徳(外務大臣)

・賀屋興宣(大蔵大臣)

・鈴木貞一(企画院総裁)=陸軍中将(最終階級)1888~1989年

【統帥部(大本営)側】

・杉山元(陸軍参謀総長)

・田辺盛武(陸軍参謀次長)

・永野修身(海軍軍令部総長)

・伊藤整一(海軍軍令部次長)

 以上です。保阪正康氏は、このように、日本のその後の命運を握る「開戦」を決定した9人の中心人物は「軍官僚」で、帝国議会はいささかも決定に関与していなかったことを喝破しております。つまり、先述の毎日新聞の栗原記者が書いていた通り、有権者が選んだ政治家が一切関わっていなかったということでした。しかも、保阪氏によると、国民に対して、開戦に至る経緯や戦争への内実は全く知らされなかったのでした。

 何ということか!

 と、今では簡単に言えますが、当時は華族や貴族が残り、いまだに江戸時代から続く身分社会でした。人権もありません。女性に参政権もありませんし、国民に主権もありませんから、赤紙1枚で激戦地に飛ばされる奴隷社会の延長みたいなものでした。何しろ、国民という概念は戦後のもので、戦前は、日本人は天皇の赤子であり、臣民でした。権力は一部の特権階級にだけ秘密裡に集中していました。「反戦」を口にするだけで特高から目を付けられて、牢屋にぶち込まれる密告社会でもありましたから、今の時代感覚で言っても始まらないでしょう。

 それに、何と言っても、既に満洲事変以降、メディアが御用新聞化し、売り上げを伸ばしたい一心で、嘘の大本営発表そのままを垂れ流ししていたため、国民に真実が伝わりませんでした。

 それだけに、1941年11月29日に開戦を決定した大本営政府連絡会議については、積極的に歴史の教科書に載せて、後世に伝えるべきだと思いました。

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