【随想】人は一生に3回生きる?

 殺人的酷暑が続いています。

 日本はもう、熱帯になったのではないでしょうか。外にも出歩けません。

 私はお城好きで、神社仏閣巡りと掃苔趣味がありますが、これでは何処にも行けません。

 でも、本日は東京郊外の実家に行って来ました。老母が施設に入ってしまい、色々と整理しなければならなくなったからです。20年近く前に他界した父親の蔵書と焼物コレクションが意外なほど多くあって処分に困っているのです。銀行員だった兄は骨董趣味が全くなく、鑑識眼もありません。

 私も口で言うほど真贋鑑定に自信はありません。一部は友人にタダで配ったりしましたが、大きな壺がまだ7〜8個、湯呑など数十点もあり、本当にどうしようか、といった感じです。

 昨日まで、たまたま長女と次女の孫2人が、親元を離れて私の自宅に泊まっていったので、ふと、「人は一生に3回生きる」と思ってしまいました

今、整理している東京郊外の実家は、私が子どもの頃から大人になるまで住んでいた家で、思い出もいっぱい詰まっていました。

子どもの頃は、散々、親に迷惑をかけました。しかし、あの頃はもう取り戻せません。

結婚してから2人の娘に恵まれ、両家の実家に子どもたちを連れて行ったものです。

そしたら、今度は、今では全く逆で、子どもたちが、自分の子ども、つまり、私にとっては孫を泊まり掛けで連れて来るようになりました。人生は短い。あっという間に、です。

私の父は大正、母は昭和ヒトケタ生まれで、父親は志願して大日本帝国陸軍に入隊するなど青春時代は戦争一色でした。そして、父方の祖父も母方の祖父も2人とも40歳代の若さで病死しているのです。つまり、私の父も母も自分たちがまだ17歳ぐらいのときに父親を亡くしているのです。

ということは、私は、お爺ちゃんという存在に全く会ったことがありません。だから、難しい言い方をすれば、「祖父業」をどう勤めたら良いのか分からないのです。

3歳の孫はまだわけが分からないので、硬い玩具を投げ付けてきて、大層痛い思いをしたりしましたが、大人気なく怒るわけにもいかず、ま、好々爺のふりをしたりしました。

 私は、お爺ちゃんから可愛がられたことも怒られたこともないので、想像で祖父業をこなすしかありません。

 ただ一つ、祖父業が出来るまで長生きすることが出来たことは、神さま、仏さま、ご先祖さまに感謝してもしきれないと思っています。若くして亡くなった親友知人がもう何人もおりますから。

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