苦悩と悲哀と不幸の後に初めて訪れる幸福

A book of happiness (Wikimedia Commons) 雑感
A book of happiness (Wikimedia Commons)

 この渓流斎ブログの長年の読者の皆さまにはバレておりますが、私は、日曜日の午前は大抵、アイロンを掛けながら、スマホでNHKラジオの聴き逃しサービスを聴いております。

 自分でも嫌になるくら生真面目な性格なので、聴いている「聴き逃しサービス」は、バラエティーやお笑い番組などではなく、歴史や文化や心理学などいわゆるお堅い教養番組です。

 昨日聴いた番組は、6月2日に放送された早大名誉教授の加藤諦三氏による「カルチャーラジオ 日曜カルチャー人間を考える 人生の悩み・幸せの秘訣1」でした。繰り返しになりますが、アイロンを掛けながら聴いているので、メモを取る暇はありませぬ。ですから、右耳から左耳に抜けて、忘れてしまうことを正直に告白しておきます。しかし、たまに、ぐさりと刺さる言葉に巡り合って、慌てて、アイロンを置いて、少しだけメモを取ることもあります。昨日聴いた加藤名誉教授の講演はそれだけ、メモを取る価値がありました。

 ただし、加藤名誉教授は御年86歳だというのに元気いっぱいで、かなりの饒舌で、しかも凄い早口ということもあって、聞き取りにくい場面がかなりあったので、これから書くことは、加藤氏の講演をそまま口述筆記したわけではないことを最初にお断りしておきます。私の「意訳」と「意見」がかなり含まれております。

「人は不安になるぐらいだったら、死んでも不幸を手離さない」

 加藤氏は、心理学者のフロイトやユングやアドラーや、そして今回は特にマズローの欲求階層説を援用して持論を展開しておりました。私が「刺さった」話は、加藤氏が半世紀以上続けているラジオの「テレフォン人生相談」での経験談でした。心理学者たちが説くところの「人はいつも苦しみたがっている」「人間は不幸になりたがっている」という逆説の真理に関わる話です。最初、この話を聞いた時、私も当然ながら「そんなことはない!」と思いました。人間の生きる目的とは「幸福になること」だと、私自身も信じて疑わないからです。それなのに、不幸になりたがる、とはどういうこと?

 加藤氏は、悩み相談者の中には、マザコン男やアル中で働かない男と結婚している女性が、いかに多いかという話を始めます。彼女たちは散々、夫の欠点をいくつもいくつも挙げて、とてもやりきれないという不満や悪態を何時間もかけてぶちまけます。そこで、回答者が「さっさと別れたらどうですか」と提案すると、別れると生活面でも精神面でも不安になるので、大抵の女性は「別れたくない」と言うというのです。このことで、加藤氏は以下の結論に達します。

 「不安よりも、不幸の方が瞬間的に楽になることがある」

 「人は不安になるぐらいだったら、死んでも不幸を手離さない」

 いやあ、なるほどです。鋭い、いや、鋭い過ぎる観察眼です。確かにその通りです。これは、まさに心理学者たちが説く「人はいつも苦しみたがっている」「人間は不幸になりたがっている」という逆説の真理じゃあありませんか。

欠乏動機が肥大

 加藤氏は、講演の中で、しばしばマズローの欲求階層説の中の「欠乏動機」という言葉を使っていました。この講演の中で、この欠乏動機について具体的な説明がなかったので、自分で調べてみたところ、マズローによれば、人間が行動を起こす動機には大きく分けて二つあり、それが①欠乏動機と②成長動機だといいます。この①欠乏動機は四つに分かれていて⑴食欲や性欲や睡眠欲などの「生理的欲求」⑵快適な暮らしがしたい等という「安全欲求」⑶家族や友人らに囲まれて安心して生活したいという「親和欲求」⑷他人からも自分の仕事を認めてもらいたいという「承認欲求」ーがあるといいます。

 ②成長動機とは、成長して自己実現したいという欲求のことです。

 この中で、欠乏動機は、特に子どもの頃に欲しいものが買ってもらえなかったり、親兄弟や先生や周囲から愛されなかったりすると、そういった「満たされなかった欲求」が潜在化します。しかし、これらの「満たされなかった欲求」は自分自身で我慢して押さえ込んで、無意識の中に追いやっても決してなくならないというのです。大人になって顕在化して神経症として現れたり、人を支配したいと思ったり、多くの見知らぬ人から注目されたいと思ったりして、実際にそういった職業に就いたりするというのです(以上は、加藤氏の言葉だけではなく、私がかなり自説で補足しました)。

 加藤氏は、欠乏動機が肥大すると無気力となり、何でもどうでもよくなり、挙げ句の果てには生きていること自体が無益に思えて自死に至る、という話を、独ナチスのヒトラーやヒムラーらの例を挙げて説明していました。(宣伝相ゲッベルスもそうでした)

 そして、加藤氏は「成長欲求を満たすには、強い意志の力で選ばなければならず、勇気がいる。また、成長には、苦悩と悲哀と不幸と混乱が伴う。しかし、そちらを選ぶ人だけが幸福になれる」と述べていました。

 以上の話を聞き終えて、私は「人間って、嫌になるくらい複雑だなあ」と思いました。何しろ、子どもの頃に押さえ込んでいた感情はなくならず、潜在意識として潜伏して大人になってその人の生き方に大きな影響を与えてしまうというということなのですから。

 でも、私は、神経症を性衝動の抑えつけられた潜在意識のせいにしたがるフロイト説には大いに疑問を持っていますので、「うまいことを言うなあ」と感心するぐらいで、全面的にこれらの学説を支持しているわけではないことを付け加えておきます。

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