Tidbit: 失われた時を求めて

Marcel Proust "A la recherche du temps perdu"(Wikimedia Commons) 雑感
Marcel Proust "A la recherche du temps perdu"(Wikimedia Commons)

 昨日の昼休み、ランチをした後の帰り道、築地辺りを散策していました。そしたら、歩道の植え込みに座って、ある外国人家族がコンビニ辺りで買って来たと思われる菓子パンを食べていました。白人家族で、恐らく、欧米の何処かの国からの観光客だと思われます。

 通りすがりで、ほんの一瞬、視界に入っただけで、ジロジロ見たわけではないので、間違っているかもしれませんが、お父さんは後ろ向きで顔は見えず、お母さんは横顔、あとは6歳ぐらいの男の子と2~3歳の男の子、そして、乳母車に乗った赤ちゃんがおりました。

 この中で、どういうわけか、6歳ぐらいの男の子だけが気になってしまいました。黒縁の大きな眼鏡をかけて、何かつまらなそうに菓子パンを頬張っておりました。

 たったそれだけの、ほんの一瞬の出来事なのに、彼らを通り過ぎると、何か熱いものが込み上げて来てしまい、涙が出て来ました。自分は大人として彼らを見ていたわけではなく、あの黒縁の眼鏡をかけた男の子と同じ6歳に戻って見ている感じでした。まるで、プルーストの「失われた時を求めて」の中の有名な紅茶を浸したマドレーヌを口にして、過去の思い出が蘇るような感覚でした。

 私が子どもの頃、東京郊外の東久留米という所に住んでいましたが、どういうわけか、そこには多くの外国人が住んでいました。駅の近くにはクリスチャン・アカデミーというアメリカン・スクールがありました。今、アメリカン・スクールと書きましたが、子どもの頃、そう聞かされていただけで、実際は、名前の通り、キリスト教福音派宣教師の子弟子女のために1950年に設立された学校でした。また、東久留米の隣りの清瀬には米空軍の大和田通信所があり、米軍関係の家族も多く住んでいたので、その子弟子女も、このクリスチャン・アカデミーに通っていたと思われます。

 東久留米市に隣接する埼玉県新座市にはキリスト教会もあり、宣教師の家族もその近くに住んでいました。その辺りは、私の子どもの頃の散策コースだったためか、しょっちゅう、外国人を見掛けていたのでした。彼らの洋風の自宅の前庭には、バスケットボールの籠のゴールがあり、よく遊んでいました。

 彼らとは別に交流があったわけではなく、子どもの頃の私も遠くから眺めて、通り過ぎるだけでした。もしかしたら、その頃のことが脳の奥深くに刻み込まれていて、今回、6歳ぐらいの黒縁の眼鏡の男の子を見て、過去の思い出が蘇ったのではないか、と自分では推測しています。

 別に事件でも事故でもない、何でもない些細な話です。もう取り返しがつかない半世紀以上も昔の過去の話、忍び寄る自分の老い、将来のぼんやりとした不安、それでいて、とても、とても懐かしいあの頃…色んなことが複雑に入り交じって、わけもなく、熱いものが込み上げてきたと思います。

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