「我々は何のために生きているのか?」
「生きていると何故、こんなに悩みが多いのか?」
「何故、他人が気になるのか?」
「そもそも、我々は何のために生まれてきたのか?」
このようなアポリア(難問)は、人間として生まれてきたからには、老若男女、何度も考えてしまうものです。もしかしたら、これは人間だけの特権かもしれません。何故なら、他の動物や植物は、そこまで考えたりしないからです。
本来ですと、こういったアポリアについて、人類は哲学や宗教などによって解明し、乗り越えようとしてきました。しかし、「増えるものたちの進化生物学」(ちくまプリマー新書、2023年4月10日初版)の著者である市橋伯一東大大学院教授は、「科学」と「進化生物学」をキーワードにこれらの難問解決に取り組んでいます。この本は、哲学、宗教を超えるというわけではありませんが、科学的データを根拠とした「真理」が書かれています。
地球上に生命が誕生して38億年。それら生物が、生物ではないものと違う点は、著者は「生物とは増えること」だといいます(無生物である岩や石は増えません)。言い換えれば、生き延びるということです。一つの個体が死滅しても、生殖によって遺伝子が後世に伝えられて、その遺伝子が生き延びるといった考え方です。
悩みとは何か?
著者によると、地球上の生物は800万種ありますが、そのほとんどが細菌などの単細胞生物で、約10の30乗匹ほど存在しているといいます。全宇宙に存在する星の数が、約10の26乗個なので、その1万倍、地球の生物がいかに多いか分かります。とはいっても、そのほとんどが単細胞生物ですから、「多産多死」です。沢山生まれますが、すぐ亡くなってしまいます。
その一方で、進化の頂点に立つ人類は、「少産少死」です。遺伝子を残せる生殖活動が出来るまで少なくとも15年ぐらいは掛かります。つまり、生物学上で「生物とは増えることで、生殖によって遺伝子を伝えること」が本質となっている限り、脳が発達した人類には、その現実とのズレ(ギャップ)が生じるため、悩みとなって顕在化するというわけです。
著者は、人間の持つ悩みを、具体的に、大きく三つに分類しています。
①「自分の生存」に関わる問題=健康上の問題で、病気がつらい、身体が思うように動かない、痛みがあるといった悩み。あるいは、身体が健康でも、快適ではない状況。例えば、収入が少ない、休みが少ないといった悩み。
②「他者との関わり」の問題=嫌いな同級生、同僚、先生、上司と関わらなければならないという悩み。
③「親子や生殖」に関わる問題=恋人がいない、意中の異性が振り向いてくれない、子どもが出来ない、親がうるさい、子どもが言うことを聞かないといった悩み。
市橋伯一「増えるものたちの進化生物学」43~44ページ
ほお、確かにそうですね。人間の悩みのパターンは、確かにこの三つのどれかに当てはまりそうです。(でも、私は仏教の説く四苦八苦=生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦=が一番、人間の悩みを解析していると思っています。)
ただし、本書では、著者はそれぞれの悩みについて具体的な解決法を明解に答えているわけではありません。そりゃそうでしょう。著者は宗教家でもカウンセラーでもありませんからね。でも、その一方で、これらの悩みの本質は見事に分析しています。人類が高度の文明を築き始めたのはわずか1万年前ぐらいのことです。それまでの人類は狩猟採取生活が100万年も、いや霊長類のチンパンジーから人類が分かれた700万年以上太古の昔から続いていたわけですから、それらの「本能」が人類の遺伝子にいまだに残っています。だから、このような悩みが生まれるといいます。
よく考えれば、病気になれば、医者に診てもらわなければならず、収入が少なければ、転職するか、さらに仕事を探すか、自分で起業するしかないのかもしれません。でも、異性の問題について、著者が、それは生物が「増やす」という本能が受け継がれているからだ、と喝破してくれると、そういった本能に束縛されて悩んでいるということが、少なくとも自覚できます。それは自ら選んだ悩みではなく、本能や遺伝子の中に組み込まれた悩みだというわけです。
たかが生物じゃないか
究極的に言えば、「我々は何のために生きているのか?」も、「人生に意味があるのか?」といった悩みも、明解な回答はなく、自分自身で考えて、自分自身を納得させるしかないかもしれません。著者も「人間が生きていることには目的や使命はないが、価値と生きがいはある」と、述べています。科学者らしい冷徹な分析です。
明解な回答が見つからなければ、知能が発達した人間とはいっても、所詮、人類は、アミーバーから進化した単なる?生物に過ぎず、あまりに傲慢、傲岸になるな、と自分自身を戒めたらどうかと思っています。地位や名誉やお金や恋人や親友がいなくても、生きているだけで、それだけでも稀に見る幸運であり、有り難いと悟ることが出来れば、しめたものだと私は思っています。
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