私の大好きなフランスの歌手フランソワーズ・アルディが6月11日(火)に亡くなりました。行年80歳。
フランソワーズ・アルディといえば、セルジュ・ゲンズブールが仏語の歌詞を付けた「さよならを教えて」Comment te dire adieu(1968年)が日本でも大ヒットして、私も生涯に聴いた音曲のベスト10には入れたいぐらいの名曲だと思っております。いわゆるフレンチポップスですが、ラップに近いメロディーのない韻を踏んだモノローグの歌詞があり、初めてラジオで聴いた時、「何という曲だ!?」と驚き、何度も聴きたいので、彼女のLPを買いにレコード屋に走ったものです。
1960~70年代の洋楽ポップズは、エルヴィス・プレスリー、ボブ・ディラン、ビートルズ、ローリング・ストーンズと英米が中心で、彼ら英米に対抗出来たのは、ブラジル・ボサノヴァのジョビンやジルベルトと仏シャンソンのシルヴィー・ヴァルタンやミシェル・ポルナレフぐらいでした。フランソワーズ・アルディは、日本で抜きん出て人気が高かったわけではありませんが、ゲンズブールとともに、耳の肥えた通好みが愛聴したことは確かです。特に彼女の美貌と、それに反するアンニュイ感は日本人にも好感を持って受け入れられました。
私は彼女の訃報を初めて知ったのは12日(水)夕方、たまたま電車の中でチェックしていた英紙ガーディアン(電子版)の記事でした。慌てて、仏紙「ル・モンド」のサイトで記事を探しましたら、大きな扱い方で出ていました。彼女は、2004年頃から闘病生活を送っていたそうですが、彼女と歌手ジャック・デュトロンとの間の息子で歌手のトマ・デュトロンが11日、極めてシンプルに、« maman est partie »(母が旅立ちました)とSNSで明らかにしたことも書いてありました。
そして、翌日の日本の新聞に注目したところ、13日(木)の都内6紙最終版朝刊では、彼女の訃報が載っていたのは、毎日と東京と読売の3紙だけでした。天下の朝日と日経と産経には載っていないのです。同日の夕刊になら載せるのかと思って、またチェックしてみても、朝日と日経は依然として掲載せず(産経は夕刊なし)。その翌日の14日(金)の朝刊になってやっと日経が彼女の訃報を遅ればせながら掲載しました。
毎日と東京と日経の記事は共同通信電でした。読売は「ル・モンド」を翻訳引用するなど自社パリ電でした。写真は東京と読売だけが「AFP時事」電を使い、毎日と日経は写真なしでした。
それにしても、天下の朝日新聞がフランソワーズ・アルディを知らないなんて衝撃的でした。ちなみに、時事通信社も6月12日午後に、パリ電で訃報を配信しており、朝日は時事電を13日朝刊用紙面で使用出来るわけですから、掲載しなかったのは、フランソワーズ・アルディの訃報記事はニュース価値がない、と判断したのか、もしくは、若いデスクで、フランソワーズ・アルディのことを全く知らなかったからなのでしょう。
もし、朝日のデスクがフランソワーズ・アルディの価値を知らなかったとしたら、天下の朝日も随分劣化したものだなあ、と思いました。いや、それ以上に、実に嘆かわしいと思いました。単なる外国人歌手の訃報の話ではありますが、日本を代表する朝日新聞社のニュース価値の判断力が低下していることは間違いありません。ネットで流せば十分だという人もいるでしょうが、フランソワーズ・アルディをよく知っている年配世代が読むのはネットではなく、紙媒体の方です。
若者が新聞を読まなくなり、既存の新聞がネットニュースに負けている現状は、やはり、朝日新聞に象徴されるように、ニュース価値判断が退化している実態を反映していると思わざるを得ません。
コメント