映画「ジョン・レノン 失われた週末」は★★★★

映画「ジョン・レノン 失われた週末」ポスター 雑感
映画「ジョン・レノン 失われた週末」ポスター

 最近、観たい映画が結構ありまして、週末は、アウシュビッツ強制収容所の隣りで平穏に暮らす所長一家らを描く「関心領域」を見る予定でしたが、結局、「ジョン・レノン 失われた週末」を観てしまいました。私は自他共に認めるビートルズ・フリーク、特にジョン・レノン・フリークですからね(苦笑)。もう直ぐ公開が終わってしまうので、慌てて映画館に足を運んだのでした。

 場所は、東京・有楽町駅前の角川シネマでしたが、土曜日だというのにお客さんはわずか10人ぐらいしか入っていなかったので、ドン引きしてしまいました。これじゃあ、映画館として「存続の危機」です。ジョン・レノンは、もう「客寄せパンダ」にならなくなったのか? ネット時代でわざわざ映画館に足を運ぶ人が激減したのか? そもそも映画に関心がなく、スポーツ観戦やらゲームやら賭博やらで色々と世間には楽しみが溢れているせいかもしれませんね。

 映画は、ジョンとヨーコの個人秘書を務めていたニューヨーク生まれの中国系米国人、メイ・パンの目を通した「失われた週末」を描いたドキュメンタリーです。ヨーコの希望で、ジョンは別居してメイと過ごすことになり、当初は2週間ぐらいの予定でしたが、実際には1973年秋から75年初頭にかけての18カ月間も2人は「恋人同士」としてニューヨークを離れてロサンゼルスで過ごすことになったのです。

 その間に、ハリー・二ルソンやキース・ムーン(ザ・フー)、アリス・クーパーらミュージシャンの「悪友」たちと夜な夜な酒浸りで、喧嘩沙汰を起こして、パパラッチらの恰好の餌食になったりしました。その一方で、エルトン・ジョンとのコラボレーション「真夜中を突っ走れ」が全米で初の1位シングルを獲得するなど音楽活動の収穫もあった時期でした。

 私は当時、高校生でしたが、モロ同時代人としてジョンのゴシップ記事を読んだり、その頃に発表されたアルバム「イマジン」「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」「ヌートピア宣言」「心の壁、愛の橋」「ロックン・ロール」も全て同時進行で聴いていたりしたので、その時代背景はよーく知っているつもりでした。しかし、これほど、メイ・パンがジョン・レノンに影響を与えて、音楽的インスピレーションを与えていたことまでは全く知りませんでした。

 とはいえ、これは、原作はメイ・パンであり、登場するのもメイ・パンなので、あくまでもメイ・パンから見たジョン・レノンです。いささか、ヨーコの描き方は「悪女」とまでは言いませんが、女帝といった感じです。メイ・パンが23歳から25歳まで最も輝いていた時期で、ジョンは、ヨーコという桎梏から切り離された時期だったので、メイ・パンが間を取り持って、離婚したジョンの元妻シンシアと息子のジュリアンとの交流が再開します。ジュリアンも、この映画に登場し、「あの頃(当時10~11歳)は父親に会えて本当に幸せだった」などと振り返ったりします。そのせいか、現在、73歳のメイ・パンと60歳のジュリアンは今でも仲良しで、映画の最後では二人が寄り添って街を歩くシーンで終わります。

 また、1970年のビートルズが解散後、最悪の関係だったポール・マッカートニーとジョンがよりを取り戻したのもこの時期でした。当時、「ビートルズが解散したのはヨーコのせいだ」というデマが飛び交っていましたが、映画では「ヨーコがいないうちに、ジョンとポールが再会した」ような印象を受ける描き方だったので、大丈夫なのかなあ、と思ってしまいました。

 観終わっての個人的感想ですが、一つは「よくヨーコが、このようなメイ・パン史観の映画の公開を許したものだなあ」と、1980年に40歳で暗殺された「ジョン・レノンが生きていたら何と言ったかなあ」でした。

 それにしても、映画に登場するジョン・レノンを始め、元妻シンシア(2015年、75歳没)も、ハリー・二ルソン(1994年、52歳没)も、キース・ムーン(1978年、薬物過剰摂取で32歳没)も、デヴィッド・ボウイ(2016年、69歳没)も既に亡くなってしまいました。彼らの元気そうな姿を見て、とても感慨深いものがありました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました