劇団民藝公演「オットーと呼ばれる日本人」を観て

劇団民藝公演「オットーと呼ばれる日本人」 雑感
劇団民藝公演「オットーと呼ばれる日本人」

  5月25日(土)、久しぶりに演劇鑑賞をして参りました。東京・新宿の紀伊國屋サザンシアターで上演中の劇団民藝公演「オットーと呼ばれる日本人」です。来月、というか来週に「第6回尾崎=ゾルゲ研究会」が開催され、研究会では、この舞台がテーマになりますから、「事前学習」として必見だったからでした。同研究会のお計らいで、一般6600円のところ6000円で鑑賞することが出来ました(笑)。

 私はかつて、演劇記者をやっていたことがあり、当時は、高価な歌舞伎にしても有料で観たことがなかったので、一般人として演劇鑑賞したのは本当に久しぶりです(笑)。とはいえ、昔取った杵柄である批判精神はまだ失っていないつもりです。

ゾルゲ事件を題材

 「オットーと呼ばれる日本人」は、「夕鶴」などで知られる木下順二の代表作の一つで、1930年代から40年代にかけて上海と東京を舞台にした国際諜報団によるいわゆるゾルゲ事件を題材にしたものです。1962年に劇団民藝により初演されました。演出は宇野重吉、尾崎秀実をモデルにしたオットー役は滝沢修、ゾルゲをモデルにしたジョンスン役は清水将夫という豪華絢爛たる顔ぶれです。今回は劇団民藝としては(恐らく)24年ぶり4度目の公演で、丹野郁弓演出、オットー役に神敏将、ジョンスン役は千葉茂則です。

 実は私自身、今回が初めての鑑賞でした。そこで、素人臭い第一印象を述べさせて頂ければ、「随分難しい台詞が長い観念演劇だなあ」ということでした。私自身は、ゾルゲ事件に関してはかなり精通してますから(笑)、登場人物の「宋夫人と呼ばれるアメリカ人」(桜井明美)はアグネス・スメドレー、満洲に諜報で派遣される林(吉田正朗)というのは川合貞吉、銀座のドイツ料理店で働きゾルゲの愛人となったゾフィー(石川桃)は、石井花子をモデルにしてるな、と直ぐ分かるのですが、ゾルゲ事件に関して何ら基礎知識がない人が観てもよく分からないのではないかなあ、と思ってしまいました。特に若い人は。

 そう思って、468席の客席を一覧したところ、若者は殆ど見当たりませんでした。高齢者ばかりです。平均年齢60歳、いや70歳といったところでしょうか。伝統ある民藝ですから、演劇通と同時に、ゾルゲ事件に関してある程度の知識を持った人たちだったかもしれません。 

 しかし、何と言っても感心したことは、こんな難しい観念演劇が当時、多くの人に受け入れられ、大ヒットしたことです。尊崇の念すら抱きました。当時の日本人は、今とは違って随分真面目だったんだなあという感慨です。現代人は、こんな台詞の長い演劇や、こんな字だらけのブログよりも、アニメやTikTokやYouTubeやFacebookや旧ツィッターを好んで選ぶことでしょう。初演された1962年当時は、ちょうど、60年安保のうねりと挫折感の余波が残っており、太平洋戦争前夜、必死に日本を無謀な戦争を遂行することを阻もうと諜報活動に身を投じたオットーこと尾崎秀実に一種のシンパシーがあったからだったと思われます。

 ただし、木下順二が執筆・上演されたこの62年の時点では、ゾルゲ事件研究者のバイブルと言われるみすず書房の「現代史資料 ゾルゲ事件」は刊行が開始されたばかりで、劇作家木下順二が参考文献にしたと思われるものは尾崎秀実の「愛情はふる星のごとく」(1946年)や石井花子「人間ゾルゲ」(49年)、また、マッカーシズムの影響下、反共主義が高まったGHQ第2参謀本部(G2 )のウィロビー将軍による「ウィロビー報告書」(49年)、それに「伊藤律端緒説」の尾崎秀樹の「生きているユダ」(59年)、松本清張の「日本の黒い霧」(60年)ぐらいで、その後の研究で、「伊藤律端緒説」など否定された説も多く含まれています。

民藝の看板俳優兼演出家・宇野重吉

 とはいえ、演劇はフィクションですから、あまり目くじらを立てて詮索するべきではないのかもしれません。それより、ちょっと面白い話があります。先述した戦後大ベストセラーになった尾崎秀樹の「愛情はふる星のごとく」を出版したのは世界評論社でしたが、もともとは、元「中央公論」の編集長で、戦時中の思想弾圧冤罪事件である「横浜事件」で逮捕された小森田一記が戦後に創刊した「世界評論」などに連載されたものでした。小森田は尾崎と親交があったからです。そして、出版社の世界評論社を金銭面で創業したのが「金融王」と呼ばれた森脇将光(1900~91年)です。この人、政界汚職を題材にした石川達三著「金環食」(1966年)でモデルとして登場します。この小説は、後に1975年に山本薩夫監督により映画化された際、森脇将光は、金融王石原参吉として登場します。この情報収集力に優れて政界工作する石原参吉役を演じたのが、「オットーと呼ばれる日本人」の初演で演出を手掛けた宇野重吉だったのです。彼の演技は映画史に残る名演だと私は断言したいほど今でも強烈な印象として残っています。

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