レイチェル・カーソンの遺作「センス・オブ・ワンダー」考

レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」 書評
レイチェル・カーソン「センス・オブ・ワンダー」

  新聞の書評欄でその存在を知ったレイチェル・カーソン著、上遠恵子訳「センス・オブ・ワンダー」(新潮社、1996年7月25日初版)を読了しました。2018年版で62刷ですから、かなりの大ベストセラーです。環境問題に警鐘を鳴らした「沈黙の春」で世界的に有名になったレイチェル・カーソンの遺作(原著は1965年)ということで、本作が「著者の最期のメッセージ」とされています。

 「センス・オブ・ワンダー」というのは、本書では「神秘さや不思議さに目を見はる感性」と訳されています。そういう感性を養うには子どもの時から大自然に触れなければならないというのがカーソンの考えです。虫や鳥や動物や植物を愛で、海や波、風の音を聞き、そして、夜空に輝く星などを見て、じっくり大自然の神秘や不思議を味わうということです。

 本書の出だしはこうです。

 ある秋の嵐の夜、わたしは1歳8カ月になったばかりの甥のロジャーを毛布にくるんで、雨の降る暗闇の中を海岸へおりていきました。

レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳「センス・オブ・ワンダー」

 この甥のロジャーというのは、実際は、レイチェル・カーソンの姪の息子で、赤ん坊の頃からレイチェルの米メーン州の別荘に遊びに来ていて、5歳の時、母親が病気で亡くなったため、レイチェルに引き取られて成長した人だといいます(長じてコンピューター関係のビジネスマンとなり、2児の父になった。)レイチェルはこのロジャーを連れて、一緒に砂浜でゴーストクラブ(和名スナガニ)や珍しい貝などを探しに行ったり、波の轟きを聴いたり、森ではヒメコウジやブルーベリーやキノコを探したり、リスを見付けたり、小鳥たちの鳴き声を楽しんだりします。

 全ては、センス・オブ・ワンダーを涵養するためです。レイチェルはこんなことまで書いています。

わたしは、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。

レイチェル・カーソン著、上遠恵子訳「センス・オブ・ワンダー」

 あらまあ、これはあのブルース・リーの名言と同じじゃありませんか。

「Don’t think. Feel!(考えるな。感じろ!)」

映画「燃えよドラゴン」

 まあ、実際に何でも実体験して、知ったかぶりになっちゃいけない、ということなのでしょう。また、レイチェルは、視覚だけではなく、その他の感覚も駆使すれば忘れない思い出になると強調します。例えば、嗅覚というのは他の感覚より記憶を呼び覚ます力が優れているといい、聴覚は実に優雅な楽しみをもたらしてくれるといいます。小鳥のさえずりや小川のせせらぎだけでなく、雷の轟き、風の声、波の崩れる音もあります。地球の生命の鼓動そのものだとレイチェルは言います。

 そう言えば、今の私は都心の銀座に通勤していますが、目にするものは人間と車とビルとアスファルトばかりです。耳にするのは、人間の声か車のクラクションや救急車のサイレンぐらいです。銀座では雀の姿さえ見かけなくなりました。そして、私の嗅覚は完璧に衰えました。敏感になれるのは「竹葉亭」「宮川」など鰻屋さんの店の前を通った時ぐらいです(笑)。昔、海外旅行から帰って来て、成田空港に着くと、どうも醤油の匂いがして、「嗚呼、日本に帰って来たんだな」と思ったものですが、もう慣れきって、醤油の匂いさえ特に感じなくなりました(笑)。

 これでは、センス・オブ・ワンダーを養う環境とはとても言えませんね。

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